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表紙

 あの日あの時  5




 翌日は一日雨が止まなかった。 それも、イングランドでは珍しいほどのどしゃ降りで、厚く覆った雲のおかげで気温はみるみる下がり、暖炉に火をたかなければいけないほど冷えた。
 憂鬱な一日だった。 だからこそ、翌日あんなことをする勇気が出たのかもしれない。 雨に降りこめられて溜まったエネルギーのはけ口を求めて。

 まだ肌寒い曇り空の下、エマは大判のショールを巻いて門を出た。 幼なじみの隣人グリニス・デイに雑誌を返しに行くというのが口実だったが、実はその日、グリニスはロンドンへ芝居見物に出かけていた。
 エマはぶらぶらと村の通りを歩き、毛糸や小間物を売っている『アンナの店』や、シティを引退したシムズ氏が経営している葬儀店の前を通り過ぎた。 若い男性が下宿するとすればマレックさんのB&B(←朝食付きの簡易宿屋)ぐらいだが、個人の家に泊めてもらう可能性もあるから、あのロディ・ソーンがどこに滞在しているかわからない。 ひょっこり出会うことを密かに願って、エマはきょろきょろしないよう気をつけながら、角を曲がった。

 少し歩くとホワイトサイド川が流れ、橋がかかっていた。 その橋のたもとには、ヴィッカーズの本屋がある。 店主のトマス・ヴィッカーズとエマはいい友達だった。
 アーチ型の窓に近寄って覗くと、棚に猫のテッサが寝そべって、ゆるやかに尻尾を振っていた。 エマと目が合うと、テッサは起ち上がって背伸びをし、窓の桟に内側から顔をこすりつけて甘えた。
「おはよう、テッサ」
 猫に笑みを投げて小さく手を振ったとき、窓ガラスに人影が映った。
 エマは、その影を見つめたまま、ゆっくり背筋を伸ばした。 影は立ちどまって、やや呼吸を乱した声で言った。
「パブの前で見かけたんです。 こんにちは。 覚えてますか? 郵便局で会ったソーンですが」
 新しく顔に浮かんだ微笑を押し殺そうとしながら、エマは答えた。
「ええ、もちろん」
 そして、元気よく振り返り、肩を上下させているロディ・ソーンに近づいた。

 折りよく、急速に雲が流されて、青空が広がってきた。 風の途絶えた暖かい道を、若い二人は寄り添うようにして歩いた。
「買い物ですか?」
 エマは肩をすくめ、脇にかかえた雑誌を示した。
「お友達に返そうと思って出てきたんですが、彼女、ロンドンに旅行中ですって」
「それは残念でしたね」
 ロディ・ソーンは嬉しそうに言った。
 



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