表紙
目次
文頭
前頁
次頁
あの日あの時
4
「お父様は?」
エマが訊くと、マーゴはすぐに答えた。
「書斎。 ボトルシップがもうじき出来上がるんですって。 今度のは大きいから、食堂の暖炉の上に飾ったらって勧めてるのよ」
いい出来らしい。 ちょっと見たいという気になった。 エマは広間を突っ切って奥の廊下に入り、突き当たりの書斎をノックした。
「お入り!」
中から、はっきりした声が返ってきた。 父のクリフォードはいつもきびきびしている。 顔立ちも鋭くて、くっきりした灰色の眼と半白の口髭の持ち主だった。
ドアを開けると、クリフォードは頭を上げ、娘とわかって微笑みを浮かべた。 隼のような顔が、なごやかになった。
「エマか」
「船がもうじき仕上がるんですって?」
「そうなんだ。 丁度よかった。 見てごらん。 進水式だよ」
嬉しそうに言いながら、クリフォードは横倒しにしたウィスキー瓶を少し動かし、瓶の口から出ている白い糸の束を注意深く引いた。 すると、中でミニチュアの帆柱がゆっくりと立ち、見事な帆船の形ができあがった。
「カティ・サーク号だ。 ほら、ちっぽけだがマークがちゃんとついているだろう?」
赤味がかった金髪の頭をかしげて、エマは熱心に瓶を覗いた。
「ええ、豪華だわ」
クリフォードは気分をよくして、最後の仕上げにかかった。
「この糸を取り外せば完成だ。 ええと……何か用かい?」
「いいえ、特には。 船を見たかっただけ」
「雨が止んだようだね。 部屋が明るくなって作業がやりやすい」
「ええ、木が天使に洗い流されたように光って、緑がきれいよ」
クリフォードは、細かい作業の手を休めて、娘を見た。
「珍しいな。 詩人みたいなことを言って」
ええ、今日は詩人なの――肘当てのついたジャケット姿の青年を想って、エマの口元が自然にほころんだ。
結局、アッシュはマーゴにも断わられたらしく、クリケット見物をあきらめて、一家と午後のお茶を共にしてから、ぶらりと帰っていった。
クリフォードはマーゴの求めに応じて、ボトルシップを暖炉に飾り、妻と娘から大いに褒められてご機嫌になった。
なごやかで、気持ちのいい午後だった。 永久に続きそうな、静かでのんびりした春の一日。 だがそれは、すべての始まりで、同時に、平和な時代の終わりでもあったのだ。
表紙
目次
前頁
次頁
アイコン:
お花のアイコン館
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送