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あなたが欲しい  60


 クイントはいつも通り、ちびた蝋燭の芯を切って明るくすると、フンフン鼻歌を口ずさみながら、ほつれたシャツを器用に直していた。
 針を持つ手をぐんと伸ばして糸を引いたちょうどそのとき、ガタついたドアが勢いよく開いた。 予想していたクイントは、布目に針を刺してから、陽気に顔を上げた。
「いよう、男前が上がったな」
「止めろ、おまえまで」
 スタスタと入ってきたエイドリアンは、他に場所がないのでクイントのすぐ横に座った。
「縫い物しながら聞いてくれ。 フィリーと相談したんだが、ふたりが巡り会えたのはおまえのおかげってことで、感謝の印に贈りたいものがあるんだ」
 大して期待しない顔で、クイントは切り返した。
「俺のほうが結婚祝を贈らなきゃいけない立場なんだがな」
「駆け落ちを手伝ってくれただけで充分すぎるほどだよ。
 実は、贈り物って、これなんだ。
 はい、『ドン・コルネリオの遍歴』の上演権」
 クイントの手からシャツが落ちた。 喉仏がごくりと、大きなかたまりを飲み下した。
「えっ……?」
「ほら、ずっとこの芝居だけはやりたいと言い続けてただろう? 俺のために書かれたような劇だ、もしやれたら絶対に大評判になってやるって、セリフをすべて覚えてたじゃないか?」
「でも……でもこれ……あのローレンス・バーニーの作品だよ。 気難しい上にケチで、おまけにお気に入りの役者にしかやらせないって……」
「だからお忍びで、おまえの芝居を見てもらったんだ。 今はまだ準主役クラスだけど、いい役をつければそれだけ大きくなって輝く才能だって、バーニーさんに口をすっぱくして言った。 そしたら、初めは唸ってたが、芝居が進むにつれて集中するようになって、最後にはおまえの実力を認めて許してくれたんだ」
「どっちかというとおまえのしつこさに負けたんじゃないか?」
 茶化してはみたものの、クイントの目は次第に赤くなってきた。 そして、いきなり縫いかけのシャツを天井高く放り上げると、空いた手でエイドリアンの手を思い切り握りしめた。
「ありがとう! 俺はやるよ。 やってやる。 この劇で、スターダムにのしあがってやるんだ!」


 最初からパッと派手な成功というわけにはいかなかった。 しかし、いくら場末でも、内容のいい芝居は徐々に認められ、口コミで次第に客足が増えた。 一度人気に火がつくと、後は山火事のように燃え盛るのを待つだけだった。
 一年後、遂にピカデリーの一流ホールで三ヶ月公演が決まったとき、クイントは初日にエイドリアンとフィリパ夫妻を招待した。 そして、大盛況の幕が下りた後、舞台裏で夫妻にフィアンセを引き合わせた。
「無名時代からのファンで、いつも励ましてくれた人。 リンジー・ナイツ嬢だ」
 リボンをあちこちにつけた可愛らしいドレス姿のリンジーは、普段着とはまるで違って見えた。
 だが、フィリパはすぐ気付いた。
「まあ、あなたは」
 リンジーのほうも思い出した。
「あっ、私が偽花嫁したときに会った……」
 慌てて口を閉じたが、もう遅かった。 前の三人が、一斉に叫んだ。
「偽花嫁?」
 たじたじとなって、リンジーは一歩後ずさった。
「あの、父ちゃんの馬車屋がつぶれそうになってね、それで、三十ポンドくれるっていうから…… でもインチキだった。 半分しか受け取れなかったの」
「それだけならいいけど、マクミランの一味じゃないよね? ね?」
 焦りまくっているクイントが気の毒になって、フィリパが庇った。
「このお嬢さんなら大丈夫。 庭でずっとあなたの応援をしていたわ」
「逃げるの忘れちゃって。 だって、落っこったらクイント・バーニスに受け止めてもらったなんて、信じられる? 夢みたいで、その晩は眠れなかったわよ」
「わかるわ。 私もそうだったもの」
 小声で言うと、フィリパは夫を見上げて、たまらなく嬉しそうに微笑んだ。


【終】





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