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表紙

あなたが欲しい  51


 なにしろ、駆け落ち専門のような町だから、隠れ家風で新婚用の宿がいくつかあった。
 クイントは式の前に友情の証として、そのうちの手ごろな一軒に手続をしておいた。 後はふたりを送り届けるだけだ。
 腕をしっかり組み、ろくに道を見ないで足を運ぶ新婚さんを、クイントは横からガードして、薄緑の蔦が壁を覆っている建物へと案内した。
「さあ、君達の薔薇の褥〔しとね〕は、このひなびた宿だ。 寝坊してもいいが、十時までには起きてくれよ。 また馬車の長旅が待ってるんだから」
 かすみのかかったような眼で、フィリパは回りの景色を見渡した。 ゆるやかに続く緑の大地、ところどころに寄り集まっているずんぐりした木々、そして、綿毛のような雲。
「誕生日をここで迎えてはいけないかしら。 外の世界をしばらく忘れて、ここでのんびりと暮らしたい」
 うっかりエイドリアンが口を開けて、そうだね、といいたげな顔になった。 クイントは慌てて二人に注意を促した。
「エイドリーには仕事があるんだよ、フィリパ。 それに、マクミランにきちんと結婚宣言しておかないと、法律上いろいろと問題が起きるし」
「そうね、確かに」
 聞き分けのいいフィリパは、すぐに頷いた。 だが、視線はまだ名残惜しそうに、羊が遠くに遊ぶ丘をさまよっていた。


 部屋に案内され、ドアが閉まって二人きりになると、どちらからともなく腕が伸びて、激しく抱き合った。
 邪魔なボンネットの紐を片手で解き、椅子に放り、フィリパは夢中になってエイドリアンのキスを受けた。
 しばらくして唇が離れると、今度は羽根のように抱き上げられた。
「ねえ、エイドリアン?」
「なんだい?」
「クイントはあなたをエイドリーと呼ぶのね」
「うん、昔からね」
「私もそう呼んでいい?」
「もちろんさ」
「じゃ、私はフィルと呼んで」
「それもいいけど」
「いいけど?」
「ほんとはリビーと呼びたい」
 わっと二人はベッドに転がりこんだ。 花婿の少しもつれた髪に指を入れ、フィリパは素早く囁き返した。
「じゃ、間を取ってフィリーと呼んで。 リビーと響きが似てるでしょう?」
「そうだね、僕のフィリー」
「ええ、あなたのフィリーよ。 とうとうそうなれたのね。 もう駄目だと何度も思ったけど」
「大事にするよ。 これまで頼る者がなくて、必死で逃げ回っていた日々を、すぐに忘れさせてあげる」
「いいえ。 つらいことがあったから、あなたに巡り合えたんだもの。 忘れたりしない。 毎日思い出して、幸せを噛みしめるわ」
「フィリー!」
「エイドリー!」


 クイントは低く口笛を吹きながら、午後の小道をたどっていた。 心に小さな穴があいて、水漏れしている気分だったが、落ちこまないようにしようと自分に言い聞かせていた。
「パプで一杯ひっかけて、安宿を探そう。 なあに、いつか俺にだって、かわいい『リビーちゃん』が見つかるさ。
 それに、何てったって、この計画は俺が立てたんだ。 大成功を喜ばなくちゃ。 な?」






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