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表紙

あなたが欲しい  50


 クイントの作戦のおかげで、一同は四日後、無事に国境へ到着した。
 日付は七月の末日。 フィリパの誕生日まで、まだ一週間ある。 結婚証明を貰う前に発見されたら大変だ。 三人は、馬車から降りるとすぐ、通りすがりの村人を呼び止めて、結婚できるところはどこか、聞こうとした。

 ひなびた小さな村なので、通りすがりがそもそもほとんど見つからなかったが、ようやく一人、鋤を肩に背負ってのんびりと出かけていく中年男を発見した。
 呼び止められた男は、日に焼けた顔を三人に向けるなり、何も言われないうちからぼそっと言った。
「あんたたち、駆け落ちもんだな」
「あの、はい」
 エイドリアンが遠慮がちにうなずくと、男は木造のがっちりした建物を指差した。
「あそこだ。 マクローワンに頼みなされ」
「マクローワンさんですね!」
 ほっとして、クイントの声が弾んだ。

 それは、鍛冶屋の仕事場だった。 開けっ放しの間口から覗くと、薄暗い中で火花が散り、カーンカーンと鉄を打つ音が聞こえてきた。
「こんにちは」
 クイントが声を張り上げた。 すぐに鎚の音は止み、腕をまくりあげた男が腰を伸ばして、三人のほうへやってきた。
 鍛冶屋のマクローワンは、雲つくような大男だった。 フィリパが一瞬おびえた表情を見せたほどだ。
 だが、よく見ると、彼の目は穏やかで、楽しげに躍っていた。
「ほう、はるばる旅してきたお方かな?」
 その口調が優しかったので、フィリパは第一印象でたじろいだのを忘れ、自然に微笑を浮かべていた。
「ええ、私たち、逃げてきました。 イートンから」
「それは遠路はるばる、大変だったですな。 お入りなさい。 すぐに天下晴れてご夫婦にしてしんぜよう」

 地味なドレスとボンネットだけの、何の飾り気もない姿で、フィリパはエイドリアンと並んでマクローワンの前に立った。 だがその眼は明けの明星のように輝き、頬は可憐なピンク色に染まり、これがあの寂しげな『リビー・コーネル』かと思うほど綺麗に見えた。
 聖書に手を載せ、誓いの言葉を交わし、指輪の交換、となって、斜め後ろに立って感慨深く見守っていたクイントは飛び上がった。 結婚指輪のことをすっかり忘れていたのだ! 彼だけでなく、恋人たちも。
 とっさに、リングベアラー(=付き添い人)として一歩進み出て、クイントは何くわぬ顔で自分の薬指に嵌まっていたリングを外し、エイドリアンに渡した。 ほっとしたエイドリアンは、胸を張って誠実の誓いを述べながら、リングをフィリパの指に差し込んだ。
「わが生涯の誠実と愛の証しとして、この指輪を贈ります」
 リングは笑いたくなるほどブカブカで、細い指の上でぶらぶらしていた。 それでもフィリバは嬉しそうに見惚れ、小声で答えた。
「この指輪を愛の印として、永久に身につけ、大切に見守り続けます」
 二人の唇が触れ合った。
 笑顔で見守っていたマクローワンは、大きく手を打ち合わせて叫んだ。
「これで二人は正式な夫と妻になったことを宣言します。 さあ、これにサインを」
 差し出された結婚証明書に、ほやほやの新郎新婦は肩を寄せ合って署名した。

 単純素朴、それに最小限の手続しか踏んでいない結婚式だが、なぜかとても感動的だった。 おそらくそれは、花嫁と花婿が心から結婚を望んでいたためだろう。 ふたりは短い式の間、ほとんど常に見つめ合っていた。 花嫁用の白いヴェールはなかったが、遂に夢が叶った喜びが、光のように二人を覆い包んでいた。

 クイントが式の費用を払って作業場を出てくると、新婚ほやほやの二人は、手を繋いで仲よく表の柵に寄りかかっていた。
「さあ、これでもう焦る必要はないな」
 近づいて、クイントはぼんやりした表情の花婿から証明書をむしり取った。
「シャンペンを一瓶飲んだよりもっとふやけた顔をしてるぞ。 なくしたら大変だから、これは俺が預かっておく」
「ああ、頼む」
 エイドリアンは、蹴っ飛ばしてやりたいような甘い声で答えた。 






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