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表紙

あなたが欲しい  39


 たまった仕事を片づけて、エイドリアンが事務所を出たのは夜の九時過ぎだった。 たまらなく腹が空いたが、フィリパから受け取った金はどうも使いたくない。 公園の水飲み場で喉をうるおして、まっすぐ下宿へと帰った。

 長い階段を上がりきって屋根裏部屋の戸をあけたとたん、クイントと並んでベッドに座っていた女性が慌てて立ち上がった。
 エイドリアンも焦った。
「あ、ごめん」
 急いで戸を閉めようとすると、クイントが笑いを含んだ声で言った。
「違うよ。 俺の彼女じゃないって。
 紹介する。 こちらが本物のリビー・コーネル嬢だ」

 ノブにかけた手を止めて、エイドリアンは穴があくほどその若い女性を見つめた。
 相手もしげしげとエイドリアンを眺めていたが、やがて気さくにニコッとした。
「入って。 あなた達の部屋じゃないの」
 それはそうだ。 敷居をまたいで戸を閉めたが、その間エイドリアンはずっとリビーから目を離さないままだった。
 本物のリビー・コーネルは、すごい美人だった。 つやつやした栗色の瞳に、自然な弓形を描いてカーブした眉、すんなりした鼻。 少々品がないものの、下町の劇場なら充分スターとして通用するほどの美貌の持ち主だった。
 しかし、エイドリアンは、その美しさに見とれているわけではなかった。 むしろ警戒の眼差しでじろじろ見るので、標的にされたリビーは居心地が悪かった。
 高いベッドに座って足をぶらぶらさせながら、リビーは自分から話し出した。
「ごめんね、騙して。 すべてお嬢様のためだったのよ。
 私はもともとサーカスの芸人なの。 綱渡りや奇術のアシスタント、それにレスリングもやれるわ。 女のレスリングって人気なのよ。
 それでね、二年前に楽屋へお嬢様が尋ねてきたわけ。 あのヒヒおやじが襲ってきそうで夜も眠れない、何か護身術を教えてくれないかって」
 そこでリビーは袖をまくり、立派な力瘤を作ってみせた。
「頼りにされちゃったら後へ引けない性分でね、面倒みるって約束したわけ。 小間使いってことで家に住み込んで、そっと訓練したわ。 でもお嬢様は筋肉が細くて、私みたいにはなれないのよ。 少しは強くなったけどね」
「やれやれ、今時の女は」
 クイントがこっそり呟いた。 じろっと目をくれてから、リビーはまたエイドリアンに向き直った。
「たまたま背丈が同じぐらいでしょう? だから、お嬢様が出かけたいときに身代わりをしたの。 いいじゃないねえ、ちょっとぐらい遊んだってさ」
「木登りも君が教えたのか?」
「もちろんよ」
 リビーは自慢そうに笑った。






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