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「あ……、そういえば、渋谷のレストランの優待券!」
まじまじと博己を見ているうちに、基子は思い出した。
「未夏、ひどーい! よく知らない人だって、あの時言ってたじゃない」
その説明に、立ち話で五分はかかった。
基子によると、フロッグハウス界隈では、わりと正確な噂が流れているらしかった。
どうしようもないワルの息子が人殺しまでやったので、スキャンダルを怖れて、社長が処分させた。 そして、孤児の男の子を身代わりに仕立てたのだと。
「肝心なところが違うよ。 社長は統真くんと喧嘩になって、弾みで死なせてしまったんだ。 返してもらった遺書に、そう書いてあった」
三人は一塊になって、ゆっくりと未夏の家に向かっていた。
博己の言葉に、基子は困った表情になった。
「私は達弥さんから聞いただけだから。 でも、博己くんのことは、良い風に言われてた。 周りの評判が、すごくいいんだって。 社長さんが英才教育して、会社の秘密も教えてるから、他所へ飛ばしたりできないって」
「秘密か」
博己は苦笑した。
「まあ、大きな組織だから、いろいろあるけど」
「ともかく、博己くんが大事にされててよかった」
基子は、ようやく笑顔になった。
小此木家に着くと、みんなで賑やかに夕食を取った。
夫の俊之と大吟醸を飲み交わしている博己や、仲よく並んでコハダやサーモンの刺身を食べている未夏と基子を順繰りに眺めて、晴子は目を細めた。
「昔に戻ったみたいね。 子供が小さい時はさ、わあわあしてて楽しいのよ。 でも大きくなると、家がシーンとしちゃって」
「傍にいるだけいいよ、なあ?」
ちょっと酔った俊之が、ガラガラ声を張り上げた。
片づけを終えた後、若者たちは二階へ上がった。
そこで基子は、結婚届の紙にサインを頼まれた。
「入籍だけでも早くしようと思うんだ。 喪中で、式は挙げにくいから」
「へえ」
基子は目をくりくりさせて、二人を見比べた。
「なんだ、私より早く結婚しちゃうんだ」
「正式な挙式はもっと後になると思う」
「じゃ、またドレス選びに行こう」
「うん、行こうね」
手を取り合って盛り上がっている女たちをよそに、博己は一字一字確かめながら、書類に書き込んでいた。
無事に届が受理され、博己と未夏がK市内に新居を建てる計画を実行に移しはじめた九月の末、真っ黒に焼け落ちた一戸建ての残骸を、テレビが映し出した。
千葉県のY市において、子供の火遊びが原因で出火。 隣りの住宅に延焼し、逃げ遅れた古河一雄さん(五七歳)が焼死、妻の紀和子さん(五五歳)が重傷、というニュースだった。
【終】
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