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39 やっと家族で



 レイモンのなだめるような口調を聞いて、ロザリーの当惑と怒りがぶりかえした。 そして、夫のいくらか肉の落ちた胸を、平手で叩いた。
「なんか隠してるのはわかってたのよ。 でもそんなもの、どうでもよかった。 他に奥さんを隠してるんじゃなければね」
 レイモンが噴き出したので、ロザリーが手を当てている胸が大きく揺れた。
「僕は青ひげじゃないよ。 必要なのは君だけ」


 マドは、気を遣っているらしく、戻ってこなかった。 だがその内に風が強くなり、枝が古風なガラス窓に当たってピシッという音を立て、うっとりしていた二人は我に返った。
 とたんにロザリーの意識が現実に戻って動き出した。
「あのね、赤ちゃんは十一月に生まれたのよ。 男の子なの」
 レイモンの心臓が、一つ大きく打った。
「そうだった。 オリアーヌが言っていた。 通りがかりに金髪の赤ん坊を見たと」
 ロザリーは彼の膝からすべり降り、手を取った。
「こっちよ。 会ってやって。 あなたに似てると思うんだけど」
 レイモンは緊張した表情になって、ぎこちなく立ち上がった。


 柔らかい日の光が差し込む子供部屋を開くと、揺り籠の横に腰掛けて見守っていたマドが、急いで立ち上がった。
「奥様、それに、旦那様」
「ファビーはどう?」
 ロザリーが小声で尋ねると、マドは顔をほころばせた。
「よくお休みですよ」


 ロザリーが食事の支度を頼んだため、マドは台所に姿を消した。  子供部屋は明るく、清潔で、洗いたてのリネンと陽だまりの匂いがした。
 レイモンは揺り籠に視線を据えたまま、戸口をまたいで中に入った。 そして、真っ白な服に包まれ、小さな右の拳を口にあててまどろむ赤子に、ただ無言で見入った。
「ファブリスよ。 その名前で、いい?」
 小声で尋ねるロザリーを、レイモンは黙ったまま片腕で引き寄せ、長く燃えるようなキスをした。
 それからようやく、息だけで囁き返した。
「ありがとう。 いい名前だ。 僕が君達についているべきだったのに、できなくて悪かった。 心細かっただろう?」
 せつなげな息遣いを耳にしたとたん、ずっと張り詰めていたロザリーの意地が、はじけ飛んだ。 湧き上がってきた涙に頬を濡らしながら、ロザリーは久しぶりに顔一杯を笑いでくしゃくしゃにして、ちょうど目ざめかけたファブリスをそっと抱き上げると、レイモンに渡した。
 新米の父親は、いきなり柔らかい塊を腕に乗せられて、一瞬固まった。
 だがすぐ、少年のような目付きになって、ぱっちり開いた無垢な青い眼を覗きこんだ。
「やあ、僕が君のパパだよ。 初めて会ったのに、泣かないね。 なかなか強そうだ。 気に入ったよ」
 ロザリーもとろけそうな顔で、脇から覗きこんだ。
「いろんなこと、いっぱい教えてもらうのよ、おちびさん。 お父様は物知りで、たいてい何でもできるんだから」
「そんなに僕を買いかぶっちゃいけない。 うぬぼれで風船みたいにふくれあがるかもしれないよ」
「でも本当のことよ。 男の子にとって、あなたはきっと夢の父親だわ。 強いし、馬にも乗れるし、頭だっていい。 立派な学生なのに、私にも辛抱強くしてくれたじゃない? 字が読めないような女に」
 もそもそ動いてご機嫌な赤ん坊を、自然な手つきで揺すっていたレイモンのこめかみに、ぴりっと筋が立った。
「オリアーヌが君をバカにしたのか? もしそうなら……」
 ロザリーはあわてて遮った。
「してないわ。 私に教育がないのは、まだ話してないし」
「そんなの過去のことだ。 わざわざ話す必要はない。 今の君は読めるし書ける。 がんばり屋の君のことだから、あれからもっと進歩したんだろう?」
「ええ、新聞を半分くらい読めるようになったわ」
 レイモンは目を見張った。
「凄いな。 あれは難しいのに」
 その腕の中で、赤ん坊がくびれのついた手を振り回し、口からぷくっと泡を出した。







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