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37 不意の訪れに



 馬車が村の道を通っていたとき、ロザリーはボーリュー神父の家へ出かけていた。
 いつものように綴りを教わり、文章の推敲を受け、なごやかにワインを飲んで語り合った後、家路につくと、戸口に帰り着く前にマドが顔を覗かせて、ロザリーに呼びかけた。
「さっき大きな馬車が通りましたよ。 前に子爵夫人が乗ってきた、あの馬車です」
 ロザリーは激しい動悸を感じて、喉元に手を当てた。
「そう? どのくらい前だった?」
 答えようとして口をあけたマドは、その姿勢のまま固まってしまった。 彼女の視線が自分を越えて、後ろに釘付けになっているのを見て取ったロザリーは、素早く振り返った。


 背後の陽だまりに、丈高い男性が立っていた。
 長い脚を上等な薄茶色のズボンに包み、濃緑色の上着の裾が、夏の風になびいていた。 帽子は被っておらず、耳の辺りまで伸びた金色の髪が、熟れた麦畑のように光って、ロザリーは目まいを感じた。
 逆光の中、最初の一瞬で彼女が見てとったのは、それだけだった。 だが本能的にわかった。 前にいるのが、確かにレイモンだと。
 悟ると同時に、体が勝手に動いた。 ロザリーは息をするのも忘れて足を踏み出したが、爪先がもつれて、前のめりに倒れかけた。


 二本の腕が、ロザリーをすくい上げた。 長くしなやかな腕と、紛うことなき彼の匂いに包まれて、ロザリーの心は空高く舞い上がった。 そして喜びに燃える意識の中で、改めてはっきりと悟った。
 何があっても、私はこの人を愛している。 もう二度と離れない。 ずいぶん心配させられたけど、とうとう帰ってきてくれたんだから。 そしてすぐ、私に逢いに来てくれたんだから!
 うっとりと彼にしがみついているうちに、彼の腕が小さく震え出したことに気づいた。
 まだ体力が弱っているのかもしれないと初めて気づいて、ロザリーはしぶしぶ顔を埋めていた胸から体をそっと引き離した。
 すると、とたんに引き戻された。 ただ、もう持ち上げて抱くのではなく、ロザリーの小柄な体をそっと床に下ろして、大きな背中を前かがみにしながら肩に腕を回し、頭のてっぺんに頬ずりした。
 そのとき、背後であえぐ声が聞こえた。 あっけに取られて立ちすくんでいたマドが、ようやく我に返って仰天した声だった。
「レ……レイモン様……!」
 妻の頭の上から目だけを向けて、レイモンは低く答えた。
「やあ、マド。 久しぶりだね」
 マドは唾を飲み込み、両手をせわしなく握り合わせ、思いついた言葉を口走った。
「あの、何かお飲みになりますか?」
「そうだな、ワインを貰おうか」
「はい!」
 やっとやることが見つかったマドは、驚きの胸を押さえながら急いで台所に引っ込んだ。


 その間に、レイモンはロザリーを抱えたまま、居間のカウチに腰をおろした。
 ロザリーは感無量で、すぐ傍にある夫の姿をしげしげと見つめ回した。
 レイモンは、別人といっても不思議はないほど面変わりしていた。 髭が消え、すっきりした顎と形のいい口元が露わになった彼の顔は、ステンドグラスの中心に立つ聖人のように、静かな美しさに輝いていた。







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