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22 もう待てない



「そうだったの? 残念だけど、何も言い残さずに船に乗ったんじゃ、置いてきぼりにされたと私が思っても当然でしょう?」
 言葉では答えずに、ジャコブは肩をすくめた。 それから話題を娘のことに移した。
「で、亭主はどんな男だ?」
 ロザリーは棚のほうに移動し、ありもしない埃を拭くまねをした。
「どんなって、大きくて穏やかな人よ」
「見た目は?」
「髪は明るい金色。 無精ひげが生えてるわ」
「名前は?」
「レイモン。 レイモン・カズヌーヴ」
「で、そいつもふらっと消えたのか?」
 遂にロザリーは布巾を放り投げ、椅子にどすんと腰を落とした。
「もう一ヶ月以上、戻ってこないわ。 十日で帰ってくると約束したのに」
 父は顎の下を掻き、粗末な木を張った天井を見上げた。
「正式に結婚したのか?」
「ええ、ちゃんと教会で」
「よくやった。 おまえはしっかり者だ。 若い男はすぐのぼせるが、さめるのも早いからな」
 そう言いながらジャコブは立ち上がり、きっぱりとした口調に変わった。
「さあ荷造りしな。 そいつの実家へご挨拶に行こう」


 ロザリーは父に、普段よく飲むワインとチーズを出して、居間で食べさせた。
 その間に奥の寝室に入ると、胸をどきどきさせながら荷物をまとめた。 冬物と春物の服一式と、身の回り品。 レイモンがくれた童話の本と、壁の大きな絵も畳んで鞄にしまった。
 それから生活費の残りを手提げに入れ、書斎に行って、夫に託された箱を鞄の底に押し込めた。 また、彼の残した手紙や紋章つきの書類なども、すべて荷物に入れた。 留守の間に地主が好奇心で覗いたら、たぶん彼のためにならないだろうと用心したのだ。
 居間に戻ると、父はワインを飲み干して、チーズの残りを布切れに包んでいるところだった。
「これはいいチーズだ。 弁当の足しにしよう」
「サラミソーセージとパンも持っていったほうがいいわね」
 残しておいても、どうせ腐るか干からびるだけだ。 ロザリーはお気に入りの青いナプキンで食料を包み、父と一緒に戸口を出て、鍵をかけた。


 地主のショーソン夫人は、父と旅に出ると挨拶に来たロザリーを、目を丸くして見つめた。
「まあ、あの家を売っちゃうの?」
「それはできませんよ。 夫が買ったんですから。 私たちが留守の間、たまに見回ってほしいんですが」
「わかったわ。 空家だってわからないようにしておきます。 浮浪者が住み着いたりしたら大変だからね。
 それで、いつ戻ってくるの?」
「さあ」
 言葉を濁していたロザリーの目が、庭に根付いてすくすくと育っているスモモの木に止まった。 そうだ、庭木や畑の手入れを放ってはおけない。
「夏になったら来てみます。 もしかすると、彼が帰ってきているかもしれないし」
「そうね。 そう願うわ」
 ちょっぴりしんみりして、ショーソン夫人はロザリーの腕を力づけるように軽く叩いた。


 父は珍しく気遣いを見せ、薪を積んで街へ行くという荷馬車を呼び止めて交渉し、安い金で荷台の空いた所に乗せてもらった。
 後ろ向きに仲良く座って足をぶらぶらさせながら、ロザリーは父に言った。
「彼の実家に行く気はないわよ」
 ジャコブは目をむいた。
「なんで! そいつはおまえをほったらかしにしてるんだろう? 俺が掛け合って、実家に引き取らせてやるよ。 結婚証明書だってちゃんとあるんだ」
「無理。 実家がどこなのか、私知らないから」
「えーっ?」
 ジャコブは両腕を大きく開いて天を仰いだ。
「おまえ、バカか! なんで家もわからない奴と一緒になった!」
 膝に載せた鞄をしっかり抱えて、ロザリーはあっさりと答えた。
「だって、彼が欲しかったんだもの。 初めて会ったときから」







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