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19 危篤の知らせ



 その夜遅く、レイモンは無事に家へ帰ってきた。
 待っていることはないから寝ていてくれ、と行われたので、ロザリーは夜着に着替えてベッドに入っていた。 でも眠りは浅く、そっと表戸の鍵を開けて入ってくる気配を感じて、すぐ飛び起きた。
 こういうとき、いつもならレイモンはコートを脱いだだけで、まっすぐ寝室に入ってくる。
 だが、その晩は違った。 玄関から続く居間に留まったままで、いつまでも足音が近づいてこない。 ロザリーは心配になった。
 ガウンを取ってすばやくまとうと、ロザリーは室内履きに足を入れ、かすかにきしむ寝室のドアを開いて、顔を出した。 すると、まだコートとマフラーを身につけたままのレイモンが、火のついていない暖炉の前に黙然とたたずんでいた。
 扉のきしみを聞きつけて、彼は振り返った。 灯りがないため、大きな灰色の影に見える。 ロザリーは手早くランプに火をつけながら、小声で言った。
「おかえりなさい」
 レイモンは無言で彼女に近づき、挨拶のキスをした。 あいかわらず優しい態度だが、いつもとどこか様子が違う。 ロザリーは敏感に感じ取った。
「歓迎会は楽しかった?」
「まあまあ。 いつもの乱ちき騒ぎだよ」
 ようやく重い口を開くと、レイモンは疲れたように傍の椅子を引いて座った。 だがその後すぐ、ロザリーも引き寄せて膝に乗せた。
「起こさないよう、静かに入ってきたんだけど」
「たまたま目が覚めたから」
 レイモンは妻の胸の前で手を組み、首筋に顔をすりつけた。
「町で知らせを聞いたんだ」
 ロザリーは緊張した。
「知らせ?」
「ああ、ぼくの元の下宿に届いていた。 ここに移ったのを知らせてなかったから」
「悪い知らせ?」
 再び数秒間、沈黙が続いた。 それからレイモンは、気持ちを決めて話し出した。
「実はそうなんだ。 大叔父が危篤だそうだ」
「まあ、お気の毒に」
 それ以上何を言ったらいいかわからず、ロザリーは口をつぐんだ。 大叔父となると、血縁関係は薄い。 日頃どのくらい親しくしていたかで、悲しみの大きさが決まる。
「仲が良いの?」
「とても。 これからすぐ見舞いに行かないと」
「ええ、そうね」
 話し合いながらも、ロザリーはすでに心細くなりかけていた。 危篤の病人を看取りに行くのに、妻を連れて行くことはないだろう。 結婚して以来、丸一日そばを離れたことはなかった。 大叔父という人がどこに住んでいるのか知らないが、日帰りできるほど近くとは思えない。
 二人は言葉数少なく、荷造りを始めた。 時計は四時半を指していた。


 一時間足らずで、レイモンは鞄に必要な物を詰め終わった。 途中まで手伝っていたロザリーは、彼に軽い朝食を取ってもらうため、準備を始めた。
 人参のスープとハムを食べ終わった後、レイモンはまっすぐ妻を見て言った。
「一週間。 遅くとも十日で帰ってくるよ。 生活費はこれで足りるかな?」
 財布から抜き出されたのは、一か月分でも多すぎる札と硬貨だった。
「充分すぎるくらいよ」
「じゃ、そろそろ行くよ。 今からなら朝一番の汽車に間に合うだろう」
 彼があわただしく立ち上がるのにつられて、ロザリーも立った。 あいかわらず情報が少ない。 重病人の名前も居場所も、レイモンは言ってくれなかった。
 玄関まで送っていったロザリーは、彼に訊きたくてたまらなかった。 だが舌が縫いつけられたようになって、問いかけられない。 うるさくして嫌われたら、という恐れが大きくて、どうしても言い出せなかった。
 敷居のところで、レイモンはいったん荷物を手から下ろすと、固くロザリーを抱いて、長い口づけをした。
「できるだけ早く戻ってくるからね」
 髪を撫でられた瞬間、反射的に声が出た。
「ねえ、連れていって。 すぐ支度するから。 十五分でできるから」
 レイモンは言葉に詰まった。 見上げると、眉間に深い皺が寄っているのがわかって、ロザリーは思わず首を縮めた。
 それでも、彼の口から出たのは、穏やかな声だった。
「今日は一人で行くよ。 本当にすぐ帰るから。 留守中に困ることがあったら、大家さんか神父さんに相談して。 それでも足りなかったらギュスターヴに言うといい。 のんびり屋に見えるが、中身は親切だ」
 ロザリーの唇が、物言いたげに震えた。 だが結局、黙ってうなずくしかできなかった。







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