表紙 目次前頁次頁
表紙


6 明日に続く夜



 口づけを繰り返しながら、ロザリーはまだ名を知らぬ青年を隣の寝室に誘い入れた。
 ここもきちんと掃除している。 ベッドの上掛けに、劇場の女優からもらった空色のビロードをかけていて、それが地味な部屋の唯一の色取りだった。
 立ったまま、ロザリーが胴着の紐をほどこうとすると、彼が手を押さえて止め、ふわりと彼女を抱きあげた。
 どきっとなったロザリーを、彼はすぐベッドの端に下ろして座らせ、自分も横に腰掛けた。 そして、自らの手でロザリーの紐を解きはじめた。
 ロザリーは少しの間、器用に動く長い指をぼうっと眺めていた。
 それからふっと我に返って、自分も手を伸ばし、彼の上着のボタンを外した。
 沈黙と、次第にせばまる息の音。 熱を帯びた肌の匂いが、二人の間の空気を満たした。
 やがてお互いに上半身がシャツとブラウス一枚になったとき、彼は静かにロザリーを横たえ、枕もとの蝋燭を吹き消した。


 大事にされたのだと、初めてのロザリーにもわかる愛し方だった。 古いベッドは二人分の重みで、情けないほどぎしぎし言ったが、彼はロザリーの耳元を両手で包み、頬ずりし、鼻を優しくこすりあわせて気をまぎらせてくれた。
「緊張しないで。 君は僕の恋人になるんだ。 外は春で、もうじきマロニエの花が咲いて一段と綺麗になる。 二人で手をつないで、店の飾り窓を覗いて歩こう。 何がほしい? キッドの靴? それとも花飾りのついた帽子?」
 燃える体の上を微風のように撫でる手の動きが、さらに熱情をかきたてる。 ロザリーは身をくねらせ、濃い闇の中で黒っぽくきらめく彼の瞳を、心に焼き付けた。 暗がりではすべてが色を無くし、光と影になる。 ほのかに白い男の顔と、輝く眼は、まるで白檀の薫る異国の王子のように、現実感を失って見えた。


 二人はやがて並んで横たわり、胸を波打たせていた。
 部屋の気温は下がってきていたが、汗ばんだ体にはむしろ心地よかった。
 この後、どうするものだったっけ。
 ロザリーは、安い給料の足しに愛人を持っている下っ端女優たちの会話を記憶から引っ張り出し、水差しを求めてそっとベッドから足を下ろそうとした。
 そのとたん、腕が体に巻きついて、ロザリーを引き止めた。 耳元に、男が低く囁いた。
「僕はレイモン」
 やっと名乗ってくれた。
 レイモン──忘れっこないが、それでもロザリーは胸の中で何度も繰り返して、記憶に止めておこうとした。
「さっき言ったこと、覚えているかい?」
「さっき?」
 意識にかすみがかかっているような気分だ。 ロザリーがぼんやりと左右に首を振ると、レイモンはその肩に腕を巻きつけて、ゆっくり揺すぶった。
「二人で街に出かけようと言ったんだよ。 何時なら空いてる? 僕は学生だから、いつでも君に合わせられるよ」
 そう囁きながら、彼はほどけて枕に広がったロザリーの髪をすくい取り、唇をつけた。







表紙 目次前頁次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送