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5 あなたとなら



 やがて、ごく自然に唇が触れ合った。
 それはロザリーにとって、不思議な感触だった。 家族との挨拶のキスとは、まるで違う。 本当に十四歳だったとき、劇場の酔客に奪われた、べっとりとしたキスとも比べ物にならなかった。
 あの夜、とても我慢できなくて、ロザリーは酔っ払いから飛びすさり、強く罵りながら口を手の甲でごしごし拭いた。 即座に劇場をクビになったが、喜んでこっちから辞めてやると啖呵〔たんか〕を切った。
 そして、家に帰ってからも、何度も何度も口をゆすいだ上、すりきれるほど強く拭きつづけた。 その様子を見た父は、お前男嫌いなのかもしれんな、と、なんとなく寂しそうに呟いたものだ。
 しかし、この無名の若者との口づけは予想を越えていた。 強引さのかけらもなく、そっと押しあてて柔らかく動かすだけ。 体を強く引き寄せるでもなく、二人の間は彼の前腕の長さ分だけ、ゆったりと開いていた。
 やがて彼はロザリーの唇の輪郭をたどり、口角から頬へ、そして首筋へとキスを移していった。 その間、ロザリーは自然に目を閉じ、彼の肩に手を乗せて、触れられた肌が次々と熱を帯びるのを、心ゆくまで感じとっていた。
 うなじまでキスをつらねていった後、彼はゆっくり顔を上げ、半ば落とした瞼の下から、情熱で濃さを増した青い瞳でロザリーを見つめた。
「ここまでにしよう、かわいい人。 君の評判を傷つけたくない」
 どきっとして、ロザリーは大きく目を見開いた。 彼は名残り惜しげに手を離し、ワイングラスを取り上げて飲み干してから、淡い微笑を残してドアに向かおうとした。
 その手首を、追いかけたロザリーが掴んだ。
「行かないで!」
 彼は顔を回して、真面目な表情でロザリーを見た。
「でもここに長居すれば……」
「部屋に入っただけで、もう私の評判はがたがたよ」
 短く息をつきながら、ロザリーはなんとかして相手を説得しようとした。
「これまで誰も、この部屋に呼んだことはないんだから。 仕事仲間や友達でさえよ」
 懸命に話す間も彼に触れた。 頬と顎に伸びた金褐色のひげは、見かけと違って柔らかく、しっくりと指になじんだ。
 顔の上をさまようロザリーの指に、男は大きくて形のいい手を重ねた。
「じゃ、初めてなんだね」
 ロザリーの息が緊張で乱れた。
「ええ、そう」
 心を見透かすような目で、彼が見つめる。 ロザリーは自分を励まし、まっすぐ見返し続けた。
 やがて彼は、もう一度ロザリーを引き寄せると、今度は本物のキスをした。 魂を吸い取るような、深いキスを。







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