表紙

 空の魔法 95 そして現在



 絵麻は公園のベンチに腰掛けてランチシートを広げ、トートバッグから出したおやつ入りのランチボックスの蓋を開けようかどうしようか迷っていた。
 なぜかというと、ごたごたした都会の真ん中で、このガード下の公園は近所の犬たちの楽しい散歩道になっているからだ。 今もジャックラッセルテリアと豆柴と中型のミックス犬の三頭が、傍を通りながら絵麻の方角に注目している。
「なんか、じっと見てる。 取りに来ないかな」
「大丈夫だって。 みんなしつけがよさそうじゃない」
 ボックスを挟んで座った加奈が、励ますように言った。 そして、きゃっきゃっと笑いながら転がるように走ってきた息子を受け止め、一緒に来た幼児と二人にウエットティッシュを渡した。 ちびさん二人はまじめくさった顔でていねいに手を拭き、いただきまーす、ときっちり挨拶してから、ちょこんとベンチに腰掛けて、素子お手製のエクレアを食べ始めた。
「わるいね、ここへ来るたんびに付き合わせちゃって」
「そんなことないよー」
 ミニエクレアを一本食べてみて、あまりのおいしさに絵麻はもう一本つまんだ。
「困ったな。 こんなカロリーの塊を食べてると、ウェディングドレスがはじけるかも」
「だからそれも大丈夫。 絵麻ちゃんスマートだもん」
 そう言いつつ、加奈は三本目に手を伸ばした。
「私も大丈夫よ。 壮太〔そうた〕を追っかけて一日中走り回ってるから。 なんかこの子、新種の疲れないロボットみたいなの。 いつもご機嫌で動いて動いて」
「丈夫でいいね〜。 ね、壮太ちゃん?」
「私としては、文哉くんみたいな美少年になってくれないかって憧れてるんだけど。 見るたびにため息出る」
 絵麻はにやついた。 加奈は小学校五年生になった文哉が学校から帰ってくるのに偶然出会って、気品ある顔立ちと物静かな態度に一目ぼれしてしまったのだ。
「加奈さんがロリコンとは知らなかった」
「あら、美しいものを美しいと言って悪い? それに私が惚れたってムダよね。 あの子絵麻ちゃん一筋だもの」
「やめてよ〜」
 絵麻はふざけて加奈を軽く押した。 加奈がここへ毎週来るようになったのは、渋谷に夫の実家があるからで、義父母に壮太を半日預けて羽を伸ばす。 初孫を溺愛している義父母にも、たまには育児の息抜きをしたい加奈にも、具合のいい取り決めだった。
 最初、加奈は遠慮して麻布には近づかなかった。 だが、結婚準備の買い物に出た絵麻と、渋谷の駅前で偶然再会して話が弾み、このうらぶれた公園でときどき待ち合わせするようになった。
 加奈はとても幸せそうだった。 夢だった堅実な専業主婦になれたし、あと四ヶ月で二人目の子が誕生する。 義理の父は無口だがさっぱりした人で、義理の母は加奈に干渉せず、私にはお姑さんがいなかったから、あなたにも苦労させる気はないわ、と言ってくれたそうだ。
「賢悟さんきれい好きなのよ。 だから私も掃除だけはきっちりやってる。 お義母さんがしっかりした人だから、賢悟さんも給料私にまかせてくれて、やりがいあるんだ」
「うちはどうなるかな」
 絵麻は考え込んだ。 泰河には繊細な面とおおざっぱなところが同居している。 普通の家庭をほとんど知らない泰河だが、苦労しているだけに金銭面はきっちりしているんだろう。
「今のうちに話し合っておいたほうがいいよ。 これからは彼の給料でやってくんでしょう?」
「そう。 なんとかやっていけると思う」
「そだね」
 加奈はあっさり同意し、またさっき知り合ったにわか友達と走り回り始めた息子を目で追った。
「大学のお小遣いが一万五千円だったって聞いて、ちょっとびっくりした。 バイト禁止でしょう?」
「うん。 社会勉強させてって頼んだんだけどね」
「立場上、無理だった? そこだけが普通の学生と違う。 でも絵麻ちゃんって、ほんと普通だよね。 いい意味で」
 絵麻はうなずいた。 







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