表紙

 空の魔法 93 昔の思い人



 エレベーターで上に行けなくなった、という言い方で、泰河と絵麻はピンと来た。 この男性は七階の誰かと知り合いなのだ。 前にこのビルに来たことがあり、このエレベーターがまだ誰でも乗れた時期に使っていたのだろう。
 泰河がのんびりした口調で尋ねた。
「社長か初美さんのお知り合いですか? 電話かけましょうか?」
 三十代くらいの男性は、はっとした顔になって泰河をしげしげと見た。 そして、おぼつかなげに言った。
「もしかすると、泰河くん?」
「はい」
「はあ、君が……」
 男性は言葉を途切らせ、泰河は少し目つきを鋭くして、相手を観察した。
「前に会いました?」
「いや」
 男性はあわてて打ち消し、笑顔になった。
「話を聞いただけ。 子供だと思ってたけど、大きいですね」
「はあ」
 微妙な沈黙が辺りを支配した。 男性は肩にかけたバッグに手を置くと、ぎこちなく言った。
「せっかく来たんで、顔だけでも見たいな。 初美さん家にいますか?」
「電話してみます」
 泰河はすぐスマホを手に取った。 すると男性は、上着のポケットから名刺を出して渡した。
「僕は大伴〔おおとも〕といいます」
 大伴? 絵麻はぎょっとなった。 この人、文哉ちゃんのお父さんと同じ苗字……。
 絵麻が驚いている間に、何も知らない泰河は初美と話し始めた。
「ああ初美さん、いま家? お客さん来た。 えぇと、大伴……タカシンさん」
 変だ。 絵麻はすぐ名刺を覗き込み、ローマ字のふりがなを確かめて小声で教えた。
「孝臣〔たかおみ〕さん」
「あ、すいません」
 泰河が謝ると、男性は微笑した。 絵麻は思わず目を丸くした。 なんと、この人笑うと文哉ちゃんそっくりだ!
「読みにくい名前でね」
という彼に頭を下げながら、泰河は電話を終えた。
「え? わかった。 じゃ一緒に上がるから。 うん」


 絵麻は緊張してしまって、エレベーターに乗るとき足を踏み外しかけた。 よろめいた彼女を泰河が受け止め、肩を抱いたままボタンを押した。
 その様子を見ていた大伴が、ほほえましげに言った。
「カナダの子よりスマートだ」
「カナダからお帰りですか?」
 絵麻は思い切って訊いてみた。 大伴は気さくに答えた。
「そう、かれこれ八年ぶりで。 東京はずいぶん変わって、すっかり浦島太郎状態」


 七階に着くと、泰河は檜家の玄関まで大伴を案内した。 そしてチャイムを押した。
 やがて玄関の扉が開き、初美が出てきた。 普段着のままだが、顔はすばやくメイクしていた。
「どうも。 久しぶり」
 大伴がやや上ずった声で挨拶し、初美は無言で頭を下げた。 彼女が何も言わないため、自然と大伴が話し続ける形になった。
「ご主人お亡くなりになったそうで、ご愁傷様です」
「どうも」
 聞き取れないほどのかすれ声だ。 そっと立ち去ろうとしていた絵麻だったが、初美が今にも倒れそうなほど動転しているので見ていられなくなった。 大伴はエントランスの前にある小さな門もまだ開けてもらっていない。 このままだとまるで門前払いを食っているみたいに見える。
 絵麻はささっと小走りに近づいて、小門を開いた。
「どうぞお入りください。 初美おばさん、私がお茶出すから」
 初美おばさん、という言葉で、大伴は目を見張った。
「あれ、あなた昇の……絵麻ちゃん?」
 絵麻は振り返って笑顔を送った。
「はい」
「うわー、きれいになっちゃって! 昔何度かお宅にお邪魔したことがあるんだけど、あなたこんなに小さくて。 はあー」
 大伴は感に堪えてため息をついた。
「僕も年食ったわけだ。 八年は長いなぁ」
 







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