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 空の魔法 63 泰河の秘密



 絵麻と泰河が麻布十番の駅に戻ってきたときは、もう真っ暗だった。
「一緒に帰らないほうがいいな。 今日は英語教室の日じゃないから」
「そうだね。 じゃ私が先に帰る。 お母さんはまだ戻ってきてないと思うけど」
「昇おじさんのほうもな」
 二人の目が、吸い寄せられるように駅の時計を向いた。 七時三九分。
「お父さんうまく会えたかな」
「加奈が案内するよ」
「うん」
 肩を寄せ合って階段を上る途中で、絵麻はどうしても訊かずにはいられなくなった。
「あの手紙」
 泰河はポケットに手を突っこんだまま、うつむき加減に絵麻と歩調を合わせて上っていた。
「もう忘れろって」
「あれ、蔵人おじさんどこに隠してたの?」
 泰河の頭が上がった。 ついで激しく絵麻を振り返った。
「クソッ、だから絵麻を巻き込むなって言ったんだ。 勘がよすぎるんだよ。 だからおっかないって……畜生、加奈のバカヤローが!」
 勘じゃなくて推理だ、と絵麻は思ったが、口にしなかった。 代わりに泰河の怒りを聞き流して、後を続けた。
「ここ何年か、お父さんは経営が苦しいって言って、みんな節約してた。 でも会社は順調だった。 新ビルも成功したし。 手紙のことを加奈さんに聞いて、お父さんにお金がなかった理由がわかった気がする」
 階段を上がりきり、表の道路に出たところで、泰河は吐き捨てるように言った。
「バカって言や、あいつがダントツのバカだった。 社長みたいな人にタカリ働くなんて。 いったい何考えてんだって、面と向かって言ってやりたかったよ。 でもオレが逆らうとヒスるんだ、あのヤロー。 で、オレに向かってこないで、文哉をいじめるんだ」
 あのヤローとは蔵人のことにちがいない。 絵麻は吐き気をもよおした。 蔵人という男はそこまで弱虫の卑怯者だったのか。
「初美さんのいるときにはやらない。 奥さんと奥さんの兄さんの両方から金せしめて、優雅にやってたいから。 そこんところは、妹の穂高さんにもばれないようにしてたんだろ。 妹でもこき使うばっかりでさ。 人を利用するだけ利用しやがって」
 泰河は激高していた。 これまで誰にも言えなかった秘密を絵麻に知られたため、重荷がドッと軽くなったのだろう。 日ごろの無口が嘘のように、非難があふれだして止まらなくなった。
「あいつヒルみたいに母さんにも食いついて、財産を横取りしてったんだ。 でも母さんには親切ぶってた。 金づるだから。 母さんは優しくて世間知らずで、オレをほんとに大事にしてくれたのに。 オレはまだガキで、何の力にもなれなかった」
 絵麻は泰河と固く手をつないでいた。 途中で分かれるはずだったのを、すっかり忘れていた。
「母さんはオレのためにあいつと籍を入れたんだ! 正式な戸籍に入っているほうがオレの将来のためになるからって。 あいつがそそのかしたに決まってる。 あいつと同じ檜〔ひのき〕なんて苗字、いらねーよ!」
 絵麻は頭がくらくらしてきた。 どうも話の筋がよくわからない。 子供のために籍を入れる? ということは、結婚する前に泰河が生まれていたということなのか? でもそれなら、そそのかしたってどういう意味?
 絵麻が持った疑問に、泰河はすぐ気づいた。 そして、短く説明不足をおぎなった。
「母さんには婚約してた人がいたんだけど、式の少し前に交差点で酔っ払い運転に轢かれた。 それがオレの本物の父親」
 絵麻が突然立ち止まった。 そのせいで、泰河はつないだ手を引っ張られて反り返りそうになった。
「絵麻?」
 もう我慢できなかった。 嬉しさが爆発した。 人通りの多い夜の舗道で、絵麻は両腕を広げ、思い切り泰河に抱きついた。
「よかった〜〜!」
 泰河は立ちすくみ、嬉しいのと当惑したのと半々で、目を白黒させていた。
「え?」
「泰河、あんな人の子供じゃなかったんだ!」








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