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空の魔法
53 飾り窓の前
泰河が本気で困っているのは、絵麻にもひしひしと伝わってきた。 切れそうになった泰河なんて初めて見た。 これ以上追い詰めるのは危険だ。
絵麻はハブかれた口惜しさを封じ込めて、彼の頼みをかなえることにした。
「いいよ、友達にもお母さんにも言わない」
すると泰河は、見るからにホッとした。
「助かる。 ほんと助かるよ。 指切るか?」
「え?」
絵麻は笑いそうになった。 急に幼児返りした泰河が可笑しかった。
「指切りするの? ここで?」
「いいじゃん。 やろうぜ」
にやつきながら、絵麻は泰河と小指をからませて、そっと振った。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。 指切った」
気づくと端の座席に座っていたかわいらしいおばさんが、絵麻と同じようににこにこしながら見守っていた。 絵麻が少し赤くなり、目が合ったおばさんに軽く会釈すると、おばさんは問わず語りに楽しげに言った。
「今でもやるのねえ。 見てたらなつかしかったわ」
ここまでは、ほほえましい情景だった。 だが翌日の週末、絵麻が駅で友達と別れ、一人で家に帰ってくると、ドレスショップの『フラール・ド・リス』のショーウィンドウの前に、見覚えのある後姿がたたずんでいるのが目に入ってきた。
あの加奈って子だ!──絵麻は不意に、ずんと重苦しいものが背中にのしかかるような、異様な感覚を覚えた。 絵麻が足を止めて、彼女に近づこうかどうしようか迷っていると、向こうのほうがゆっくりと振り向いた。 ガラスに映る絵麻の姿が見えたようだ。
五メートルほど間を空けて、二人はじっと見つめあった。 加奈はショーウィンドウのガラスに背中をつけ、わずかに首をかしげて、ぼうっとした声で言った。
「絵麻ちゃん?」
絵麻の目が鋭くなった。 泰河につきまとう家出少女に、なれなれしく友達扱いされる理由はない。
「泰河はいませんよ。 今日は三コマで五時限まで講義があるって言ってたから」
「なに、三コマって?」
おっとり訊かれると、なんだか困る。 絵麻は仕方なく、動かない加奈に近づき、小声で説明した。
「授業の時間。 一区切りが一コマ」
「ふうん。 大学ってそういうの? かっこつけてるね」
絵麻はとまどった。 そんな考え方はこれまでしたことがなかった。
「いや、大学がコマ使ってるかどうか知らないけど、学生たちはそう言ってるらしい」
「泰河と仲いいんだ?」
その口調は優しかった。 絵麻は耳を疑った。 絵麻のほうは意識していても、加奈は絵麻に対抗意識や敵意を抱いているようには思えなかった。
それでも絵麻は心を鬼にして言った。
「ここで待っていても、泰河は加奈さんには会いたくないと思いますよ。 ちょっと事情があって、泰河はいろいろ大変なんです。 人の世話をしている余裕がないっていうか」
はっきり言われて、加奈はさすがに口元を固くした。 それでも怒った様子は見せず、ようやく体を動かして絵麻に並んだ。
「少し歩こう」
絵麻は困った。
「え? 私、帰ってきたとこで」
「五分でいいから、歩こ」
周囲は絶え間なく人が流れている。 少し付き合ったところで、危険があるとは思えなかった。 絵麻はしぶしぶ向きを変え、自分より少し背が高い加奈と並んで歩き出した。
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