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空の魔法
18 金の使い道
今度は知ってるって、それはどういう意味だろう。
絵麻は少し考えてみたが、泰河が軽く小指を噛んだので、驚いて忘れてしまった。
「泰河〜」
たしなめるつもりが、甘え声になった。 目を上げると、一六○センチの絵麻より二○センチ以上高い泰河の顔は、街の照明の淡い反射でうっすらと影になり、どこか謎めいて見えた。
「こんな豪邸に住んで、梱包のバイトしに出てくなんてな。 バランス悪い」
「今、梱包やってるの?」
「ああ、夜中にやると報酬五割増しなんだ。 もう文哉のこと見てやれんから、夜働くか」
「やめよう。 学校あるし、体に悪いよ」
絵麻が真剣に止めると、泰河は首を振った。 すると、最近伸ばしかけている前髪がゆっくり揺れた。
「夏休みになってからだよ。 そしたら昼寝てられっから」
「泰河が夜型になっちゃったら、ますます逢えない」
「あのさ、一ヶ月まるまる勤めたら報奨くれるって。 それ使って八月の末に、どっか行かない?」
おおーっ!
絵麻の全身が熱くなった。 デートだ! ホンモノのデートに誘われた!
「行く!」
声が上ずってしまった。 泰河は笑顔になって、握っている手に力をこめた。
そのとき、絵麻の耳に母が呼ぶ声が届いた。
「絵麻〜、ご飯よ。 出てらっしゃい」
「じゃな、明日また相談しよう」
泰河の囁きが聞こえ、すぐ手が離れた。 熱帯夜だったが、急に指が冷えた気がして、絵麻はそっと柵から手を抜くと、胸に押し当てた。
父はその夜ご機嫌で、口数が多くなっていた。 最近は前ほど残業しなくなったし、会社の業績も上がってきたらしい。 それは大いにうれしいのだが、あまりしょっちゅう家でくつろいでいられると、少々けむたいのも確かだった。
「絵麻、お母さん一人に食事の支度させちゃダメだろう。 ちゃんと手伝わないと」
「いつもは手伝ってるって」
むくれたくなくても、今夜は受け流せなかった。 もうちょっと泰河と話していたかった。 言いたいことが胸にいっぱい詰まっているのに。
「ほんとにそうよ。 よくやってくれてる」
素子が庇うと、昇は面白がって絵麻の肩を突っついた。
「ほんとか〜?」
「だからほんとなの」
父を押し返してから笑顔になった。 絵麻は両親が好きで、いつまでもふくれていられない。 すると父は、思いがけない方向に話を持っていった。
「まあ、あんまり素直に手伝うってのも珍しいかもな。 最近の風潮では」
これで今度は素子がむっとなった。
「どういうこと? 立派に育ったわが子を非難するわけ?」
「いや、もちろん違うよ。 たださ、反抗期がないのも逆に怖いって言われたもんで」
「誰に?」
「取引先のおやじに」
「ひがみよ」
素子はばっさり切って捨てた。
「自分の子とうまくいってないから、そういうこと言うのよ」
絵麻も母に賛成だった。 反抗期に言いたいことが言えなかったわけではない。 ちゃんと友だちにグチを言っていた。 ただ、親にいちいち文句をつけるほど子供ではなかっただけだ。
「心配しないで。 子供だって家族の一員、というか、食べさせてもらっている見習いなんだから、いろいろ覚えないと、って言われたから」
そう話しながら、絵麻は内心首をかしげた。 これは誰の言葉なんだろう。 強く印象に残っているのに、肝心の語り手の顔が浮かんでこなかった。
案の定、母が訊いた。
「誰が?」
「わかんない。 昔だから」
絵麻が正直に答えると、父は真顔になって呟いた。
「キザなほどの正論だな。 でもそのセリフ、僕が言うべきだったな」
目の前の食卓には、素子がまた工夫したらしく、とろりとした絶品のロールキャベツと上州地鶏のフリカッセが並んでいて、すごい速さで皿から消えている最中だった。 文哉ちゃんと泰河にも食べさせてあげたい、と、絵麻は心から思った。
すると、まるで気持ちが通じたように、素子が言い出した。
「泰河くん、引越し済んだんだって」
「そうか」
昇は無表情になって、一言だけ答えた。
「これまで通り、あの部屋はうちが光熱費を払ってあげるんでしょう? 初美さんは意地張って、自分が払うと言い張ってるけど」
「泰河に金は渡しているらしいんだよ。 服代や食費の上に、小遣いと称してたっぷりと」
溜息と共に、昇は説明した。
「不満のないようにしとかないと、反抗されたらもう大きいから手がつけられなくなる、なんて、真顔で言ってたよ。 妹ながら、あいつの子育て法にはまったくついていけない」
「泰河はそのお金、受け取ってるの?」
絵麻はそう訊かずにいられなかった。 泰河はいつも庶民的な服装をしているし、お酒は飲まないし、外食はピザやラーメンばっかしだ。 むしろ普通の学生より質素だった。
昇は、何を訊くのかという顔で娘を見やった。
「ああ、黙ってポケットにねじ込むって」
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