表紙

  公園にて 2


 はあ?
 マオが戸惑っていると、ベンチの下から素早く這い出てきた男の子が一目散に逃げようとして、若い男に掴まった。
 手足を振り回して暴れる子供をしっかりと腋の下に抱え込んだ後、男はじろっとマオを見た。 鼻が高く、なかなかいい顔立ちのようだったが、不機嫌そうな態度と黄色のサングラスが災いして、見た目が非常に悪くなっていた。
「よくここがわかったな。 感心するよ。 ネットタレコミか?」
「待ってよ」
 マオが尋ねようとしても、男はまったく聞こうとしなかった。
「よしよーし。 サインもらってきてやる。 それでおとなしく帰れ」
「サイン?」
「ばっくれんじゃないよ。 新島忠彦〔にいじま ただひこ〕の追っかけなんだろ?」
 面倒くさそうに言い捨てられた言葉を聞いて、ようやくマオは事情を悟った。 この公園は都心に近いにもかかわらず閑静で雰囲気があり、よくテレビや映画のロケに使われるのだった。
 マオは黄色いサングラスに視線を据え、やや冷たい調子で訊いた。
「新島忠彦って誰?」
 本当に知らなかった。 仕事と家事に忙しくて、ドラマも歌番組もいっさい見ない。 井上さんも、家に帰ってまでタレントの顔を見るのは願い下げだと言い、うちでは音楽を流していることが多かった。
 とたんに抱え上げられていた男の子が大声で笑った。
「バッカだー、シロ。 まちがえてやんの。 ダッセー」
「うるせ!」
 子供の尻を大きな手で一発はたくと、シロと呼ばれた美青年はマオに視線を戻して、悪びれずに言った。
「勘違いか。 すいませんね。
ともかく、ここは撮影現場だから、よそのベンチへ行ってください。 お願いします」
 言葉はていねいになったが実質は命令だ。 こんなADだとあちこちで問題を起こしているだろうな、と思いながら、マオはすっかり融けてベトベトになったアイスを口に入れ、さっさと遠ざかった。

 木陰を選んで池のほとりを歩いていたマオは、ブルーと白に塗り分けられた白鳥ボートが船着場から出ていくのを目にした。
 あれも撮影に使ってるんだろうか――ちょっと興味をわかして横目で見ていると、並んで乗っていたカップルのうち、女性のほうが不意に立ち上がり、きゃあきゃあ叫んだあげく、横の男性に突き落とされてしまった。
 マオが驚く暇もなく、水中から潜水服が2人現れて女性を救助し、近づいてきたもう一隻の平底ボートに助け乗せた。 やはり撮影のワンシーンだったらしい。
 そのころには、ちらほらと見物人が現れ始めていた。 マオはその後ろに、上着を片手で肩にかけた井上さんを認めて、笑顔になって小さく手を振った。
 井上さんは大きく振り返した。 そして、上着を回しながら走ってきた。 目立つなんてもんじゃない。 マオは恥ずかしくなって、自分からは一歩も動けなかった。
 池を四分の一周ほどしてマオに追いつくと、荒い息をつきながら井上さんは嬉しげに言った。
「待った? 蚊にさされなかったか?」
「さされたかも」
 さっきから腕がかゆいのに気付いて、マオは首を回した。 肌が赤くなっている気がする。
 井上さんにも見えたらしい。 指をペロッとなめて、ちょいちょいとつけた。 マオは疑わしげに赤い部分を眺めた。
「そんなんで効くの?」
「酸性がいいんだろう? 唾は弱酸性じゃなかったか?」
「ほんと?」
「うん。 もっとつけるか」
 そう言うなり、井上さんはマオの腕を持ち上げて、うやうやしく唇を当ててしまった。
ギャーッ! マオは彼を、ボクシング・スタイルのカンガルーみたいに両手で押しまくって遠ざけようとした。
「やめ、やめー! みんな見てる!」
「だからどうした」
 井上さんは平然と言い放った。

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