表紙

  公園にて 1


 その日は梅雨の中休みには珍しく、からっと暑かった。
 電車の中は空調の効かせ過ぎで寒いぐらいだったので、新進ヘアメイク・アーティストのマオは、ホームに下りて熱風に包まれてもそれほど不快に感じず、むしろ心地よい気分で、服装をもう一度点検した。
 式を挙げてから、元超人気タレントで今は芸能プロ副社長の結城誠也〔ゆうき せいや〕、マオが本名で『井上さん』と呼ぶ最愛の夫は、マオの身なりにうるさくなった。
 上等なものを着ろと言うわけではない。 露出度の高い服を極度に嫌がるのだ。 薄地のスカートはダメ。 マイクロミニなんかもっての外。 中でも、全部捨てちゃうぞ、と脅かされているのが、キャミソールだった。
「これ一枚で出歩かないから。 必ず上着を重ねるから。 私だってキャミやビスチェ一枚で背中まで日焼けするの嫌だからね」
「だからって、そんなスケスケのカーディガンじゃかえってエロっぽい」
「エロって……分厚いの着たら暑くてたまんないでしょう? アセモできちゃうよ」
「麻のとか、吸汗繊維のやつとか着ればいいじゃん。 透けニットは駄目!」
「これってマーコからもらったんだよ。 色違いのおそろいなの」
「じゃ余計だめだ。 服部マーコは最近派手すぎる。 ホテルのプールでビキニで歩くなっていうんだ、まったく」
「マーコはスタイルがいいから」
「マオの方がいい! 絶対足長い!
だからダメ」
「ねえ、これぐらい……」
 突然、井上さんは開き直った。
「なぜ着たいのさ。 他の男に見せびらかしたいの?」
「ちがうよー! ただ……」
「前はいつもジーパンにTシャツで平気だったじゃないか。 普通の働く女は結婚前におしゃれして男を誘っても、後は地味できちんとした服装になるもんだ。 逆やってどうする」
  反論できなくなって、マオはソファの前に置かれたオットマンに座りこんだ。  他の女なんて知らない。 自分の場合は理由があるんだと思ったが、口にできなかった。
――結婚前はさ、ボサッとした井上さんと手つないで歩く夢は見てたけど、みんなが振り向く結城誠也と出かけるなんて全然考えなかったもの。 だからジーンズで平気だったけど、今は…… ――
釣り合いってものがあるじゃないか。 やーだあ、あんなブスと結婚したの? なんて陰口きかれたら恥ずかしいじゃないか……
 自然に首がうなだれてきた。 やがて涙がツーッと目頭を伝い、鼻先から光って落ちた。
 ハイネックシャツをさらっと羽織って寝室から出てきた井上さんは、その様子を見てびっくりした。
「そんなにあのカーディガン着たいか?」
 頑固に床を見つめたまま、マオは小さくうなずいた。 井上さんは溜め息をつき、身をかがめてマオの肩を抱いた。
「わかった。 着な。 いくらでも着な。
 ただし、下はブラウスかTシャツ。 それで手を打とう」
 たちまちマオは笑顔になって、首を伸ばして井上さんにキスした。

 だから外で落ち合う今日は、堂々とそのカーディーを着てきた。 ブルーと白の霜降り模様のカーディーで、下はストライプの紺のワンピースだ。 涼しいし、似合っているはずと自信があった。 結城誠也と歩くには、自信が相当必要だ。
 私鉄の駅から歩いて5分。 静かな平日の公園ではセミが鳴いていた。 小さな売店で○見大福を買うと、マオは木陰のベンチに座り、目前に広がる青緑色の池を眺めながら、くつろいで食べ始めた。
 間もなく、足に何かが触れた。
 素足の足首で、生暖かいものがうごめいている。 びくっとなったマオは、片手にアイス、もう片手にポシェットを持った姿で、首を曲げて足元を覗きこんだ。
 ベンチの下に、男の子がもぐりこんでいた。 マオと目が合うと、可愛らしい顔をしたその男の子は、短い指を口に当てて、シッ、と口止めした。
 マオは首をかしげて、上半身を折り曲げたまま、その子を観察した。 かくれんぼうでもしているのだろうか。
「見るなよ。 見つかっちゃうだろ?」
こまっちゃくれた口調で言われて、マオはあわてて体を起こした。
「他に隠れてよ」
「いまさら遅いよ」
 なぜ、と聞き返そうとして、マオは、目の前が暗くなっているのに気付いた。
 顔を上げると、若い男性がすぐ前に立っていた。 短く息を弾ませている。 マオと目が合ったとたん、彼はひどくそっけない声で言った。
「困るな。 そこ、どいて」

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