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ラプソディー・4



 想像したよりはるかに大きな会場で、入っていく子はほとんど10代、それにほぼ全員が女性だった。 dee-Da――ディーデイと読むらしい――は、いわゆるアイドルバンドとラップとをブレンドしたような3人グループで、服装はばらばら。 ズボンを腰ばきにして、くずれた帽子を斜めにずり下ろしている子あり、廃品回収センターで拾ってきたような茶色のコートの襟を立てて着ている子ありで、見ていると面白かった。
  透の服装は一番まともだった。 真由羅から見ての感想だが、カーキ色のチノパンに青い縞シャツをロールアップしてひるがえしている姿は、清々しいほどのものだった。
  歌も透の独壇場だった。 他の子ふたりはたまに斉唱するぐらいで、後は気ままにステージを駆け回ったり、ブレイクダンスもどきを踊ったりしている。 透だけが最初から最後までメロディーラインを受け持っていた。
  美しいだけでなく、華のある子なんだ――舞台上の透は大きく見えた。
  ライトや手製の応援ボードを持って揺れている少女たちにまじって、真由羅は隅っこに立っていた。 20代らしい女性が他にもちらほらいたので、目立つはずはないと思った。
  歌の一番と二番の間に長い間があって、楽器が秩序なしに音を立てまくっていた。 歌手たちはわずかに気を抜いて、舞台から顔見知りのファンに笑顔を向けたり、手を振ったりしていた。
  真由羅は透だけを見た。 美しい顔。 よく響く声。 dee-Daは透あってのものと言えた。
  彼はとっくに父親の勢力範囲を飛び越えている。 戻ってこいというほうが無理だ、と真由羅は悟った。
  群衆の中の孤独、という言葉があるが、今の真由羅はまさにその状態だった。 ファンたちはグループと一体化して楽しんでいる。 だが望遠レンズから目を離したときのように、真由羅の眼から透は大きく遠ざかっていった。
  もう帰ろうかな、とふと思ったとき、舞台上の透と視線が合った。 真由羅は広い会場の斜め隅に埋もれているのに、確かに眼が合った気がした。
  間奏が終り、二番が始まった。 しかし、透は口をつぐんだままで、マイクを逆手に持って立ち尽くしていた。 眼にかすみがかかったように見える。 まさか……まさかドラッグ使ってる?――真由羅は背筋がひやっとした。
  くずれた帽子の子が、わざと透の前でリンボーダンスのようにのけぞってみせた。 それで透は目が覚めたように意識を戻し、歌い出した。
  一段と大きな声だった。 ファンたちは興奮し、ざわめいた。
「いいよ、いいよね、今日のトオル」
「うん、なんか胸キュン」
「古くないか、そのいい方?」
  隣りではしゃいでいる。 集団のエネルギーに押しまくられて、立っているだけなのに真由羅は疲れてしまった。
  帰ろう…… 力なく出口に向かう真由羅を、ファンのひとりが露骨ににらみつけていた。 乗っている演奏の最中に帰るのが許せなかったのだろう。

 そのまま家に帰る気になれなくて、真由羅はぼんやり街を歩いていた。
  そのうち、ふと思いついて地下鉄に乗り、あのカフェに行った。 初めて透と逢った、あの店に。 そして、あの席に座りながら思った。
(透さんはあの日、誰と待ち合わせていたのかな)


 夫はその日も仕事で遅かった。 カウチでつい寝込んでしまった真由羅は、12時頃に揺り起こされた。
「ほら、風邪引くよ」
「うーん」
  ぼけた返事と共に半身を起こして、真由羅はネクタイをゆるめている和馬に微笑みかけた。
「透さん、見てきた」
  和馬の手が止まった。
「そう。 どうだった?」
「すごい人気」
「そうか…… 俺は見たことないんだ」
  和馬は面白くなさそうだった。
「芸能界なんて浮き草だろう? あっという間に忘れられるんじゃないの?」
「そうならないかも」
  真由羅は真面目に答えた。
「透さんは実力があるし、ルックスもいいわ。 続くんじゃない?」
  少し黙っていた後、数馬は吐き出すように言った。
「同棲してるんだよ」
  よく聞こえなくて、真由羅は耳を近づけた。
「え? 何て言った?」
「女と同棲してるの、あいつ」
  すうっと体が冷えていくのを感じて、真由羅は自分にとまどった。 そういうことだって充分にある。 もう20歳なんだし、親の許可なく結婚だってできる。 しかし…… あの透さんが……


 なんとなく2ヶ月が過ぎた。 主婦になると特にめりはりをつける必要がなくなるので、うっかりすると曜日まで忘れる。 しゃんとしなくちゃ、と真由羅は自分に言い聞かせて、CADだけは真面目に通っていた。
  あとは少し、なあなあになりつつあった。 それだけ2人の生活になじんできたとも言えるだろう。 それなりに幸せだった。 蘭子という小姑がなければ。
  蘭子は次第に、やりきれない存在になりつつあった。 不意に前触れなく尋ねてくる。 専業主婦だから真由羅が家にいて当たり前だと思っているらしく、たまに留守だとすぐに電話で嫌味を言ってきた。
  一番不快なのは子供の自慢話だった。 蘭子には2人の男の子がいて、上は二流とはいえ国立大学に入り、下は受験勉強中だった。
「だからね、国立に入ってくれるなんて親孝行だって言ったのよ。 何せ医学部でしょう? 私立に入れたら、たとえうちでも楽じゃないのよ」
  金持ちはいいですねえ、と思いながら、真由羅はケーキを出す。 蘭子が端からフォークで碁盤の目のように細かく切って、神経質そうに一切れ一切れ口に運ぶのが、気に触った。
「下はどうも私立になりそうなの。 まあ、K大の医学部だからねえ、一般人はおいそれと入れないけど、それでも学費を考えるとね。 もうちょっとバカだった方がよかったかしら」
  その分お母さんがバカだからいいじゃない、と過激なことをつい考えてしまって、真由羅はあわてて顔をつくろった。

 危うさをはらんだ小市民の幸せはしばらく続き、それから突然終末を迎えた。 和馬の交通事故死という形で。
  しかも、運転していたのは、蘭子だった。



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