表紙

 お志津 167 その後の事(5)



 当時の結婚年齢は、平均が男子で二二歳、女子で二○歳ぐらいだったといわれている。 世間では二○歳を越えると行き遅れだなどと冗談交じりで言われていたが、実際は常識的な年頃で相手を見つけていたわけだ。
 その基準でいくと、綾野はやや遅めかな、という感じだった。 眼がくりっと大きく、人なつっこくて愛らしい性格の綾野は、学校を出たての頃からよくもてていたので、相手が多すぎて選べないのだろうと思われていた。
 徳子も娘の結婚を急がせなかった。 母親の眼力で、何かを感じ取っていたのだろう。 だが、仕事では鋭くて行動力抜群の臼井は、ずっと気持ちを秘め隠して、当の綾野にさえ悟らせなかった。
 だから綾野はあきらめかけた。 まだ相手を選べるうちに結婚しようと半ば思い、須波庸輔〔すなみ ようすけ〕というベアリング製造会社の跡継ぎと会うことにした。 そこで臼井の様子がおかしくなり、敦盛が原因に気づいた。
 じっくり膝を交えて話したところ、臼井が告白できなかった理由は二つだった。 綾野と一回り年齢が離れていて、おじさん扱いされていると思い込んでいたこと、そして、彼が綾野に近づけば鈴鹿貿易の入り婿狙いだと言われるのが嫌だったことだった。
 どちらも取り越し苦労だと、敦盛はきっぱり臼井に言った。 そして、自分の口から申し込まないならわたしが話すと、臼井を脅した。 それでは綾野に根性なしと思われてしまう。 あせった臼井は、その日の午後に買い物へ行こうとした綾野を玄関で捕まえて、大好きだから結婚してくださいと、一息で言ってしまった。
 綾野は初めあっけに取られ、やがて彼が本気だとわかると、感きわまって泣き出した。 驚いた臼井がなだめているうちに、彼女がショックを受けたのではなく感激しているのだと気づき、彼のほうも涙を誘われ、徳子が何事かと出てきたときには、二人で手を取り合って泣いていたという。
 この事件は行長にすっかり面白がられていた。 彼は母親似のすらりとした美形に育ち、大学ではスマートに羽目を外しているらしいが、要領がよくてなかなか尻尾をつかませなかった。


 臼井と綾野の挙式を秋の末に控えて、敦盛はほっとしていた。 できれば妹に政略結婚などしてほしくなかったのだ。
「会社とすれば、綾野が須永一族に嫁ぐのはいい材料かもしれない。 だが、自分が好きな人と添っておいて、妹には幸せを求めるなとは、とても言えない」
 志津は洋間で敦盛と共に座り、なめらかな速さで子供たちの靴下を編んでいた。 何をやるにも活気があふれている。 懸案の商談が実って、ようやくくつろぐ時間が取れた敦盛が、大きな豹のようにだらりとソファーに伸びて頭を志津の膝に乗せていても、まったく気にならない様子だった。
「綾野ちゃんは情の深い人だから、日向水〔ひなたみず〕のような須永さんとは合わなかったでしょう」
「そうだね。 彼には愛人がいるという噂があるし」
「まあ」
 知らなかった志津は憤然となった。
「結婚前からそれでは、先が思いやられるところだったわ」
「大丈夫だ」
 そう言って、敦盛はあくびをした。
「見合いがうまくいきそうだったら、わたしの口から綾野に教えてやろうと思っていた」
 志津はクスッと笑った。
「あなたらしい遠まわし作戦ね。 私ならきっとずばりと言ってしまう」
 応えたのは小さないびきだった。 志津は一瞬、棒針をあやつる手を止め、自分の膝を見下ろした。 敦盛は眼を閉じ、口を半開きにして安らかに眠っていた。
 志津はわずかに身をかがめ、夫の額に軽く唇を置いてから、囁きかけた。
「ゆっくりお休みなさい。 明日が文吾の誕生日なのを忘れなかった立派なお父様」
 文吾は物静かな二男の名前だった。 そして三男は秀生〔ひでお〕。 来年に生まれるのはそろそろ女の子かしら、と志津は思い、優しくお腹に手を当ててから、再び編み物に戻った。 靴下を編む編み針は小さいから、眠る敦盛の顔にぶつかる心配はない。 それでも用心して持ち上げ気味にしながら、志津は土曜日の午後のささやかな幸せにひたっていた。


【エピローグ完】







長い話に最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございました!
ご感想をいただけるのであれば、コチラをポチッとして感想欄にいらしてください。 一言でも嬉しいです♪






表紙 目次 文頭 前頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送