表紙

お志津 2 大人ぶって


 とたんに志津の大きな笑顔が、にやにや笑いに変わった。
「な〜にを今更。 みんなカンタローと呼んでるじゃないか」
「それは子供だったからだ。 この年で、いつまでも仇名じゃみっともない。 ちゃんとヒロタロウと呼ぶべし」
 寛太郎は威張って言ったが、すぐ気づいた。 たしなめるべき相手が遥か頭上にいては、威厳が届くわけがない。
 そこで顔を上げ、できるだけ怖い目つきを志津に向けて叱った。
「木登りなんて、はしたないぞ。 すぐ降りてくるんだ」
「いいよ、ちょっと待って」
 志津はけろりとして握り飯を竹皮に戻し、兵児帯〔へこおび〕に挟むと、するすると枝から枝へ渡りながら、あっという間に地面に降り立った。


 そこで志津は、あらためて寛太郎の友人の実寸に気づいた。 そびえ立つほど大きい。 特に脚が長い。 馬にまたがったら、足が地面についてしまいそうだ。
 今度は見上げる側になって、志津の口がぽかんと開いた。
 友人も志津をながめた。 というより、見下ろした。 精悍な表情をしている。 立派な顔立ちだが、寛太郎のような優男〔やさおとこ〕ではなく、逞しかった。
 二度まばたきをして、志津は思わず口走った。
「牛若丸と弁慶だ」
「おまえ、何を言ってるんだ」
 寛太郎が頓狂〔とんきょう〕な声を出した。
 すると、初めて友人の若者が顔を崩した。
 志津は、またまばたきをした。 今度は三度。
 笑うと、それまで山伏〔やまぶし〕のようだった彼の顔が、一挙に少年っぽく変わった。 愛嬌のある、実におおらかな笑顔だった。
「この人、だれ?」
 大声で訊く志津に、寛太郎は参って、目を閉じて額に手を当てた。
「少しはたしなみってものがないのか、おまえは?」
 友人のほうは、あけすけな志津の態度を気にしていないようだった。 じっと彼女を見つめたまま、自分で答えた。
「鈴鹿。 鈴鹿敦盛〔すずか あつもり〕。 郡〔こおり〕と同じ学校の学生だ」
「敦盛? 平家物語に出てくる平敦盛〔たいらのあつもり〕と同じ字?」
「そうだ」
 ほんの小娘が平家物語を読んでいるらしいことに、鈴鹿敦盛は驚いたかもしれないが、表情には出さなかった。
 代わりに寛太郎がびっくりした。
「どうしてそんなことを…… また爺さまたちに混じって聞きかじったのか?」
「うちの土蔵に本があったんだよ。 挿絵も入ってて面白かった。 戦記ものだし」
「ああ、なるほど」
 寛太郎はようやく納得した。
「戦いが気に入ったんだな」
「気に入って悪いか」
「大いに悪いぞ。 おまえは女だ。 自覚しろ」
「へぇ〜だ。 女だって戦うんだからね。 薙刀〔なぎなた〕ってもんがあるじゃないか」
「あれは自衛の武器だ。 戦場で使うわけじゃない」
「弓だって使えるよ。 小刀〔こがたな〕だって。 女忍者もいるし」
「講談本の読みすぎだ」
「ふんっ、夏休みに帰ってくるというから、せっかく迎えに来てやったのに、上級学校に入ったからって偉そうに」
 半ば本気で腹を立てた志津は、さっさと先に立って、山道を麓めざして一人で歩き出した。





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