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面影 76
師走の上旬になって、迎えが来た。 進藤の従卒だそうで、直筆の手紙を持参していた。
ゆき子、と呼びならわされるようになった女は、手早く手紙を開いて読み下した。
「そこもとに約束しおりしこと果たし候。 ただちに荷物をまとめ、使いの賀川壱蔵と共に来られたし。 進藤洋一郎」
漢字混じりの候文をゆき子がすらすらと読んだので、従卒の賀川は驚き、感心した目の色になった。
「進藤さまは達筆で読みにくいきに。 お前さま、げにまっことよう読みゆうな」
「ゆき子さんはきっとよいお家のお嬢だよ。 ばあちゃんがそう言ってた」
久作がぶっきらぼうに口を出してきた。 表面はそっけない風を装っていても、ゆき子がいよいよ去る日がきたのが、辛くてたまらないようだった。
賀川が茶をすすっている間に、ゆき子は身の回りの物をまとめて、トメのところへ挨拶に行った。 囲炉裏端で繕いの刺し子をしていたトメは、皺に埋まった目で女を眺め、考えながら呟いた。
「あんたはなあ、旅に出れば運が開ける。 わしにはそんな気がするで」
「ありがとう。 長い間、お世話になりました」
紙に包み、手紙を添えて部屋に置いてきた小判はすぐ見つかるだろう。 孫の久作の学資になればいい。 ゆき子はふとそう願った。
旅支度をして土間から出るとき、久作はいなかった。 だが、うねうねと下る道の半ばまで来ると、低い山の中腹から大声が聞こえた。
「都はぶっそうだぞー! 肝抜かれるなー!」
笠をかかげて上向くと、久作が短い手を精一杯振り回していた。 ゆき子も腕を高く上げて振り返し、よく通る声で叫んだ。
「達者でなー! また会いに来るからねー!」
「約束だよー! 必ずだよー!」
声はだんだん遠くなり、かすかな木魂に変わっていった。
ゆき子は従卒の賀川に付き添われて奥州街道を上った。 まだ鉄道馬車もない、明治初年の冬のことだった。
その一ヶ月前、進藤洋一郎が到着したころ、三百年有余も幕府の都だった江戸は、無理やり東京と名前を変えられて、とげとげしく不穏な空気がただよっていた。
五月の上野戦争からまだ半年しか経っていない。 異形の官軍を見る江戸っ子の目は冷たく、まだ残って警察の役目を務めていた町奉行が騒乱を心配して、逆らわず平穏に軍隊を迎えるよう高札を出したぐらいだった。
すでに夏には薩摩、肥前など七藩が組になって市中取締隊を作ってはいたが、江戸の地理にうとく、市民の協力も乏しく、治安はよいとは言えなかった。
進藤はまず土佐藩の江戸屋敷へ報告に行き、その後あらためて隊へ戻って、取締隊への志願者をつのった。
「家族持ちは他の隊に合流して国へ帰れ。 皆心配しとるにかあらん。 はよう戻れ」
この命で、結局二十人ほどが残り、下町といわれる本所・深川方面の警備をすることとなった。
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