表紙

面影 9


 顔を立ててもらって浮き浮きしたお栄は、五日の予定で義三について会津に出向いた。 そして店の者の予想通り、七日経っても戻って来なかった。
 お栄がいなくても、変わらず店は繁盛していた。 新しく扱うことにした藍染めののれんが、なかなかの売り上げを見せて、亡き儀兵衛の時代より景気がよくなったぐらいだった。
 そののれんは、番頭の治助が染物職人の考えを取り入れて作らせたもので、お幸の習字の先生に書いてもらった粋な字体が人気を博して、飛ぶように売れた。 おかげで店主代理の治助は、組合でも幅がきき、あちこちの店から入り婿にと望まれるようになった。
 だが治助は、どの縁談にも耳を貸さなかった。
「わたしは小作の三男で、あのまま村にいればただの穀つぶし。 それを先代が拾ってくれ、目をかけて読み書き算盤を仕込んでくださった。 だからこそこうやってお商売ができるんです。
 お嬢様に立派な婿様が来て、先が安泰という日が来るまで、わたしは嫁を取りません。 もちろん婿に行く気もなし。 それが先代にできるわたしのたった一つの恩返しです」

 治助に由吉という裏表のない使用人に守られて、お幸の生活は平穏に続いた。 そして九月の半ば過ぎ、いよいよお栄が未来の婿を伴って帰ってきた。

 それは、町に初雪の降った日だった。 ねずみ色の空から綿毛のような牡丹雪が落ちてくる中、二台の駕篭〔かご〕が店の前に着き、しっかりと被布を着込んだお栄と、浅黒くて目鼻立ちのはっきりした若者が降り立った。
 お幸は二階の格子窓の隙間から、下を覗いていた。 自分の夫になる人なのに、まるでひとごとのような気がして、落ち着いた心持で相手を見ることができた。
――丈夫そうだし、相当の二枚目だ。 おっ母さんたら顔で選んだんだろうか――
 袂〔たもと〕を口に当てて笑いを噛み殺したとき、下から声がした。
「お嬢様! おかみさんと、それに杵屋〔きねや〕の清次郎さんが今お着きですよ!」
「ただいま!」
 震えも恥じらいもないしっかりした返事を響かせて、お幸はとんとんと階段を下りていった。



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