表紙

丘の家 2


 早智〔さち〕の実家、つまり史麻〔しま〕の家である佐々原〔ささはら〕は、両親揃って何度も片瀬家に足を運び、事情を知ろうとした。
 しかし、答えは判で押したように、いつも同じだった。
「分かりません。 なぜ出ていったかも、どこへ行ったかも」

 当時、史麻は自宅から、千葉市にあるデザイン学校に通っていた。 将来はレディースファッションのデザイナーになりたいと思っていたが、背が高くて手足が長いため、モデルの申し込みが多くて、そっちが本業になりそうな勢いだった。
 自然と市内の催し物に出演する機会が増え、あちこち移動した。 その道筋で、たまに治臣〔はるおみ〕を見かけることがあった。
 彼は、式のときより老けて見えた。 まだ二十代のはずだが、肩が落ちている。 いらいらした感じでポケットに手を突っ込むことが多く、舗道を歩いている姿は影が薄く感じられた。

 治臣が幸せでないのは確かだった。 地元では、妻に逃げられたと噂が立っているのだ。 男と駆け落ちしたんじゃないかと言いふらす者までいて、史麻は彼の姿を見つけるたびに、脇道へ急いで入るか、車の中で身を低くした。
 とても顔を合わせられないほど、気まずかった。


 こうして、絵に描いたようなハッピーウェディングの夢は壊れ、史麻は恋というものに限界を感じるようになった。
 梅ケ淵の駅で最後に目撃されたとき、姉の早智は、ホイール付きの旅行バッグを手に一人で電車を待っていて、思いつめた表情だったという。
 結婚式からわずか十ヶ月……まだ新婚といっていい時期に、若い夫婦を凍らせたのは、いったい何だったのか。 佐々原の両親と妹の史麻には、いくら考えてもわからなかった。


 姉が旅立ったその駅が、カーブを曲がったところでひっそりと視野に入ってきた。
 卒業間際にスカウトされた史麻は、大塚のモデル事務所に所属して働いていた。 売れっ子とまではいかないが、そこそこ仕事は来ていて、暮らしに不自由はない。 調布の賃貸マンションに借りた部屋も快適だった。
 だから、というより、やはり気が進まなかったのだろう、史麻は学校を出てから一度も実家へ戻らなかった。 駅から歩いて帰ると、どの道を通っても片瀬の家が見える。 小高い丘の上に白く光る家。 それが嫌だった。

 今度の帰郷は、そういうわけで三年半ぶりになる。 小さいながらも一応駅長のいる駅に降り立つと、潮の香りがする秋風が吹きつけてきた。
 駅前広場は、閑散としていた。 まだ九月初旬なので、直射日光が強い。 四日間の休みで真っ黒に日焼けしたとは言われたくないから、史麻は帽子の大きな鍔〔つば〕を引き下ろし、首を巡らせてタクシーを捜した。
 広場から、放射状に三本の道が伸びている。 真ん中の最も広い道路を、一台の車が走ってきた。 珍しいことにオープンカーだ。
 メタルカラーの低い車体を優雅に操って、若い男が駅前に横付けした。 そして、運転席に坐ったまま、眩しげに目を細くして、立っている史麻を見た。
 どこか重く、物憂い響きの声が言った。
「決まってるねえ。 モデル?」
 


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