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100 美しい式


 アニーとサンディの日頃の行いがいいからか、空は穏やかに晴れ、ほぼ無風の、素晴らしい天気になった。 
  式に列席した人数は6百人を超えた。 個人の結婚式としては空前の規模で、さしもの広い庭も人の波に覆い尽くされた感じがした。
  式は屋敷の広間の前、壮大な大理石のテラスで行なわれた。 まず牧師が立ち、その前に花婿と付き添いのジョーイが並んだ。
 花婿はかすかに息を弾ませていたが、そのせいでかえって顔が上気して明るく見え、そばにいた女性客が感心して囁きあうほど凛々しかった。
  やがて特注のオルガンが鮮やかな音でメンデルスゾーンの結婚行進曲をかなで始めた。 いよいよ花嫁の登場だった。
  広間の端から、8人の小さな天使たち ( 本当に羽根を背中につけていた ) を従えで現れた花嫁に、庭中が静まり返った。 真っ白なトレーンと、同じほど長いヴェールに包まれ、誇らしさで背が伸びたように見える祖父グレン・テンプルに腕を預けて、しずしずと歩を進めるアニーは、後光が射すほどの美しさだった。
  待っているサンディの体が震え出したので、ジョーイはあわててそっと背中をつついた。
「落ち着け。 深呼吸するんだ」
  その言葉を間に受けて、本当にサンディが大きく息を吸い込んだため、牧師が鼻眼鏡のうえからジロリと睨んだ。 ふざけていると感じたようだ。 サンディの大きな体がびくっとちぢんだ。
  花嫁は、できるだけ淑やかにしようと努力はしたらしいが、小柄な体のわりには鮮やかな大股で、ぱっぱっと進んできた。 それがはつらつとして逆にみんなの表情をなごませた。 ジョーイははらはらしていたが、サンディはうっとりした眼で恋人の晴れ姿を見つめ、いつまでも見飽きない様子だった。
  いよいよ花嫁と花婿が並び、誓いの言葉を述べるクライマックスが来た。 サンディはいつも通り、ぎりぎりまで追いつめられると度胸がすわり、堂々と、まではいかなかったが、言い間違えずに牧師の言葉を復唱した。
「……貧しいときも病んだときも、共に助け合い、愛し合うことをここに誓います」
「それでは神の御前で2人が夫婦になったことを宣します。 指輪の交換を、どうぞ」
  ジョーイがすかさず、サンディと宝石店に行って念入りに選んだ指輪を、銀の盆に入れて差し出した。 その指輪は気持ちいいほどすっと、アニーの薬指に入っていった。 アニーは密かに思った。 これは後で少し詰めてもらわないと、抜けてしまうかもしれないと。
  その手の甲に、ぽたっと水滴が落ちた。 いやだ、サンディったら泣いてる、と思ったとたん、目の前がぼうっと霧がかかったようになり、涙ぐんでいるのが他ならぬ自分だと気付いた。
  こんなに感激するとは想像しなかった。 全部ジイ様のお仕着せで、昨日まで内心ぶつぶつ言っていたぐらいなのに、まさか泣くなんて……
  サンディの指が、そっとヴェールを持ち上げた。 そして、花嫁の涙に気付いて驚いてまばたきした。
  抱き合ってキスを交わした後、万雷の拍手の中で、アニーは花婿の耳にささやいた。
「長かったわね、私たちの道のり。 父さんがあなたを選んだのに、あなたが優しすぎてトムに譲ってしまってから、もう15年以上も経つんだわ。 それを考えたら、急に胸が迫ってきちゃって」
「会ったことのない幼なじみだったよね、僕たちは。 最初は手紙のやりとりだけだったけど、もうそのときから君に夢中だった」
「私は森で、一目で夢中になった。 一目ぼれなんて信じなかったけど、本当にあるのね」
「お二人さん」
  グレンが見かねて、低く注意した。
「そういう話は後で2人きりになってからにしなさい。 さあ、花嫁はブーケを投げて。 それから新婚旅行へ出発だ!」
  たちまちアニーの眼が輝いた。 これが何より楽しみだったのだ。 思い切り遠くへ飛ばして、とんでもない人に取らせてやろう。 アニーはテラスの端に出て、期待に胸躍らせて並んでいる娘たちとの距離を眼で計り、くるりと背を向けるなり、樽投げにも優る勢いで、思い切り花束を空中に飛ばした。
  わあっという叫び声が背後ではじけたので、アニーは急いで振り返った。 そして腹を抱えた。 レースとリボンでかわいらしく飾ったブーケを胸に捧げ持って、回り中の女たちから憎しみの視線を向けられているのは、男性で、しかも既婚者の、グレゴリー・エイムズ秘書だったのだ。
  困り切ったエイムズが花束を返してきたので、アニーはもう一度投げ、今度は未婚のパット・タイラーが受け止めた。
  それから新婚の2人は、着替えるために屋敷に入った。 庭では盛大な宴会が催され、オーケストラが甘美な調べを奏で、ダンスが始まった。

  ロビンは、まだ浮かない表情で椅子に座っていた。 はしゃぐロニーの相手をしながらも、ジェーンは不安で、落ち着いていられなかった。 やはりアレックスのことを気にしているのだろうか。 何もなかったということを、信じてもらえなかったのか……
  ピンク色のドレスを着たかわいらしい少女が、ロニーに近づいてきて挨拶した。
「こんにちは」
  びっくりして、ロニーはぽかんと口をあけ、少し迷ってからようやく返事をした。
「こんちは」
「私ね、アイスクリームがほしいの。 取ってきてくれる?」
  ジェーンは思わず微笑んだ。 小さなレディーからのお付き合いしたいというサインだ。 ロニーにもわかったらしく、急に大人びた声を出して、
「いいよ」
  と言うと、少女の手を掴んで、料理人たちが忙しく立ち働いているテーブルに向かっていった。
  その後ろ姿を見送りながら、ロビンがぽつりと言った。
「初恋かな」
  恋? まだほんの赤ちゃんとしか思えなかったジェーンは眼を見張った。 だが、考えてみればまだ小学校に上がる前、自分も近所の男の子に憧れたことがあった。 赤ん坊はあっという間に幼児になり、生活範囲を広げていく。 うれしいような、心細いような、妙な気分だった。
  息子から視線を外さずに、ロビンは言葉を続けた。
「初めての恋って、いつまでも心に残るよね…… 気付いていなかっただろうけど、ニューヨークで一緒にいた頃、君は何回か独り言を言っていたんだ。 アレックスにどう言おう、とか、アレックスならどうするだろう、とか」
  冷水を浴びせられたような身震いがした。 ジェーンは答えを返すことが出来なかった。


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