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97 式当日


 何事にも終りはあるもので、果てしなく続くかと思われた結婚準備は、どうにかとどこおりなく終了し、6月のよき日に、エリザベス・アン・テンプルとダグラス・アルガー・サンダースの結婚式典( もはや式典と呼ぶのが一番ふさわしい規模になってしまっていた )が、めでたく執り行われることとなった。
  会場は、壮大なテンプル邸の庭およびテラスと大広間。 客たちの中には遠方から来て泊まっていく者が多く、二階の寝室も総動員された。

  二階と三階の間の階段を、一人の青年がさまよっていた。 銀の盆をかかげて降りてきたボーイが、途方にくれたその青年に、見かねて声をかけた。
「あの、どうかなさいましたか?」
  すがりつくように、青い眼をまばたいて彼は小声で言った。
「靴下が……」
「は?」
「僕の靴下が見当たらなくて。 このままじゃ式に出られない」
  ボーイは当惑して唇をなめた。 そして、相手の服装を観察して気付いた。 なんと、この人は花婿じゃないか!
「ちょっとお待ちください。 手のあいている者に買いに行かせますので」
「もう時間がないんだ」
  消え入るような声で、サンディはつぶやいた。
「ああもうほんとに、絶対にカバンの中に入れたと思ったのに」
「貸してやるよ」
  不意に下のほうから声があがってきて、2人の若者は驚いて視線をこらした。
  悠々とした足取りで階段を上ってきたのは、最高級の礼服に身を包んだアレックスだった。 サンディの眼が大きく広がった。
「オーウェルさん!」
「よう」
  微笑しながら、アレックスは腕を伸ばし、サンディとがっちり握手を交わした。
「やったな、勤労青年。 夢を叶えたじゃないか」
「はい」
  サンディの眼差しが、少年のように輝いた。
「オーウェルさんのおかげです。 あきらめるなと言ってくれたから、西部でやり直して、彼女に会いに来ることができました」
「あれは自分に言ったようなものだったんだよ」
と、アレックスは小声で告白した。
「でも、励みになってよかった」
  そこで彼はにやっと笑った。
「じかに靴を履いてるんじゃ気持ち悪いだろう。 来てくれ。 妻は用心がいいから、新しいのを何足か持ってきているはずだ」
  妻、と言ったときの誇らしそうな様子は、写真にとっておきたいほどだった。 この人も幸せになったんだ、と、見違えるほど明るい様子のアレックスを見て、サンディはうれしかった。

  親切なボーイに礼を言って、サンディがアレックスに付いていった後、ロビンがロニー少年の手を引いて階段を上がってきた。
「どこに引っかかったって?」
「あのね、鬼みたいなのがついてる窓のそば」
「ああ、ガーゴイルか。 じゃあきっと、『秋の間』だ」
  子供の頃から本家には何度も来たことのあるロビンは、すぐに風船が飛ばされた先がわかった。 テンプル邸は開放的で、グレン氏の寝室と書斎をのぞいては、どこも自由に出入りできる。 だからロビンはロニーを連れて、さっさと『秋の間』のドアを開けて入っていった。
 
 少し経って、淡いオレンジ色のドレスをまとったジェーンが急ぎ足でやってきた。 迷うといけないから庭の椅子に座って待っていてくれとロビンに言われたのだが、彼がいないと不安で、つい探しに来てしまったのだ。
  やはりロビンの言ったとおりだった。 想像以上に広い邸宅で、階段だけでも4つあるので、ジェーンは遊園地の『迷路の館』に入り込んだような気分になり、壁によりかかって、ふうっと息をついた。
  誰か通りかかったら現在位置を教えてもらわなければならない。 歩きまわって汗ばんできたから、扇子を取り出してあおごうとしたとき、すぐ近くのドアが開いて、大きな男性が2人、続いて姿を現した。
  ほっとして、ジェーンは小さく声をかけた。
「あの」
  後から出てきた黒いタキシードの男が振り向いた。 ふたりの視線が交わった。

ジェーンの顔から、みるみる血の気が引いていった。


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