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93 式の準備


 サンディを正式な婿と決めて吹っ切れたグレン・テンプル氏は、ブルドーザーのような活力を発揮して、ニュースワンシー始まって以来の豪奢な結婚式を実現に移し始めた。 アニーはその規模を聞いてあきれたが、取引してしまったので反対はできなくて、せめて自分の友人知人にせっせと招待状を書き、一人でも多く呼び集めようとした。
  アニーの交際範囲は市長と同じほど広く、人気は市長の10倍はあると言われている。 だからいつまで書いてもアドレス帳の頁は終わらなかった。 医者の仕事はあるし、お祝いの電報に返事は出さなければならないし、さすがに音を上げたアニーは、ジイ様のなつかしの秘書、ジム・タイラーに手伝ってもらうことにした。
  てきばきとタイピスト嬢に宛名書きを振り分け、アニーが苦労して書いた5倍の量を半日で片付けたタイラーは、ここぞとばかり恩を着せた。
「お嬢様のお役に立てる日が来るとは思いませんでした。 これで全てよろしいですか? はい、わかりました。 それではですね、わたしの妻がお嬢様の歴史に残るお式をぜひ見たいと申しますので、もう一通招待状にサインをしていただけると…… ありがとうございました!」
 



94 記憶の中に


 

 ふたりだけの誓いの後、近所の牧師館でささやかな式を挙げたアレックスとルイーズは、春の終りにはもうニューヨークのオーウェル邸に戻って、ゆったりした新婚生活を送っていた。
  アレックスは仕事の合間に5番街のデパートで毎日のように買い物をしていた。 少しずつ胴回りが大きくなってくるルイーズのために、様々な服地や体型を隠せるコートを、それに生まれてくる子供のための服や遊び道具を。 広い庭の隅にはブランコやすべり台が早くも取り付けられ、子供部屋にはベビーベッドと木馬が並んだ。 さすがにちょっと早すぎるんじゃないかとルイーズは思ったが、アレックスが楽しそうに口笛を吹きながら帰ってくるので、幸せな気分を壊さないようにと、何も言わなかった。
  こんなに明るいアレックスは見たことがなかった。 だからルイーズも毎日が幸せだった。 ふたりの結婚は新聞の3面記事に大きく出たので、母のグローリア・ケントも知っているはずだが、まったく何の連絡もない。 こちらから電話ぐらいかけるべきかとも思った。 しかし、母がバリーの死の遠因を作ったことを、そしてアレックスを破滅の淵ちかくまで追い込んだことを考えると、どうしてもその気になれなかった。
  父とレティには、正式に結婚した翌日に電報を打った。 2人ともすでに英国に戻っているので国際電報だが、順調に2日で届き、祝電の返事があった。
  レティはその後、長い手紙をくれた。 それによると、初恋の人だったイアンは海軍に入り、乗艦がドイツのUボートに撃沈されて戦死したということだった。
  ルイーズは暗い気持ちになった。 イアンといえば、ルイーズに親しみを見せてくれた銀行員のヒューの弟だ。 エディンバラでのびのびと暮らしていたやんちゃ坊主のイアン。 一度も会うことはなかったが、ひとごととは思えなかった。
  何か気分が滅入っていたとき、銀色の文字で華やかに飾った招待状が届いて、ルイーズは眼を見張った。
「すごい豪華さね。 誰だったかしら。 エリザベス・アン・テンプルって」
  そのとき、中から別の白い封筒が落ちた。 拾い上げて開いてみたルイーズは、思わず声を上げてしまった。
「まあ、これって、デュヴァルさんなの?!」
「デュヴァル?」
  風呂上りの髪をタオルで拭きながらガウン姿で出てきたアレックスが、不審そうに顔を上げた。
「誰だ、それ?」
「ああ、ミッキーの又いとこの人よ。 目がくらむほどの美人なの」
「待てよ、それって」
  ぎゅっとアレックスの眉が寄った。
「ひょっとして昔やつと婚約していた娘か?」
「知ってるの?」
「いや、直接に会ったことはないが……」
  アレックスは考えこんだ。 そして、ルイーズの手元にある招待状を覗き込んだ。
「相手はダグラス・アルガー・サンダース……? 医学博士か。 まさかな……」
「まさかって?」
「いや…… ある男のことを思い出して」
  ルイーズは興味を覚えて、ベッドの上に座りなおした。
「だれ?」
「テンプル家で働いていた男だ。 ボート漕ぎで初めて俺を負かしたんだ。 ロビンより一回り大きくて、恐ろしいほど力持ちだったが、心は女の子みたいに優しかった」
  アレックスは13年前の夏の日を目の前に思い浮かべた。 小波が銀のうろこのように輝く湖水の前で、力を出し切ったボートレースの後、珍しく心を許しあって、本音を口にしてしまった午後のことを。
 
 まだ無邪気できゃしゃなお坊ちゃまだったロビンは、船着場近くに座って湖の水を手ですくいながら話していた。
「僕には一族の決めた婚約者がいるんだ」
  当時ひねくれたふりをしていたアレックスは、すかさず言った。
「そんなの放り出して、好きな女と一緒になれ。 おまえならできるじゃないか」
  そこでつい本心が出た。 ずっと心の中に閉じ込めていた切ない思いが、どっと出口を見つけて吹き上がった。
「そう、もし俺がおまえだったら、好きな女を思い切りちやほやして大事にして、絶対に振り向かせる。 もし俺が……」
  自分で自分の言葉にはっとして口を閉ざすと、ロビンが雇い人というより友達として大事にしているダン・フォード少年が、じっと見つめているのに気づいた。
  目が合うと、ダンは静かな口調で言った。
「大好きな人がいるんですね。 僕にもいます。 絶対手の届かない人が。 でもその人がこの世に生きているだけで、僕は幸せなんです」
「あきらめるなよ!」
  反射的にアレックスは叫んでいた。 確かにダンは貧乏な孤児かもしれない。 だが、実の父に命を狙われているわけじゃない。 恋人を危険な目にあわせる心配なんか、しなくてもいいんだ。
「どんな高嶺の花でも、望めば手に入るって思えよ。 やってみろ! 好きなら何だってできるはずじゃないか!」
  そんなことを言われるとは想像していなかったのだろう。 ダンの顔に驚きの色が凍りつき、それから徐々に、やわらかく解けていった。


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