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87 思い出の場所


   アニーは世話好きで人望があったので、すぐに5人ものインターンやナースが協力を申し出た。 ありがたく受けて、近くの鉄道の駅や乗合バスのターミナル、貸し馬車屋など、サンディが立ち寄りそうな場所に行ってもらい、アニーはわずかな望みを胸に、汽車に飛び乗った。
まるで自信はない。 しかし、心のどこかで小さな声がささやいていた。 サンディはきっとあそこに立ち寄る、最後に一目見てから行く、と。

家族の誰かに見つかりたくなかったので、アニーは自分の実家なのに裏手の柵を越え、しばらく足音を忍ばせて歩いた後、ようやくスカートをからげて一目散に走り出した。
目的地は、森だった。 農場の外れにある、あの懐かしい森。 哀しいとき、心に傷を受けたときに、必ず泣き顔を隠しに行った、あの静かな隠れ場所だった。
空き地の手前で、アニーはいったん速度を緩めた。 そして、爪先立ちで一本の樫の木に近づき、素早くよじ登った。 もう6年ぐらいお転婆は止めていたのに、いざとなるとするすると簡単に上がれた。
太い枝が幹と分かれている辺りにたどり着くと、アニーは腰を下ろして寄りかかり、薄青い空を見上げた。 そして、心を込めてささやいた。
「お願い、彼を私から取り上げないで。 サンディ以上に私にぴったりの人は、懸賞金をかけて探しても見つからないわ。 私はあの人と生きていきたいの。 そう思えた人は、彼だけなの!」

1時間以上が過ぎた。 アニーはまだ木の上にいた。 先に病院を出たのだから、もうとっくに通り過ぎているかもしれない。 いや、そもそもここには立ち寄らない可能性が大きいのだが、アニーは待っていた。 ここに来てくれたら、それはサンディの愛の証に他ならない。 だからアニーとは思えないほど忍耐強く、じっと待ちつづけていた。
綿雲が静かに頭上を通り過ぎたとき、枯れ枝を踏む音がした。 アニーは体を強ばらせ、若葉の生え揃った枝に身を寄せて姿を隠した。
やがて視角に男の全身が入ってきた。 古びたオーバーオールにフランネルのシャツを着て、季節はずれのサンタクロースのような大袋を背負っている。 だがアニーを驚かせたのはその服装ではなかった。
上から見ているから顔の表情まではわからない。 しかしサンディはまるで別人のようになっていた。 端の垂れたいかにも西部男風の髭をそり、髪を染めていた茶色の染料を落としたか新たに染め直したかして、生まれながらの金髪にもどしたサンディは、アニーが子供の頃に仰ぎ見ていた、男神のような父に生き写しだった。
彼はポプラの横にたたずみ、木々の間からわずかに透けて見える家を黙って見つめていた。 アニーのいる木にちょうど背中を向けている。 今のうちだ。 こそっとも音を立てないように、アニーは大木をすべり降りた。
やがて青年は深く溜め息をつき、袋をかつぎあげて歩き出そうとした。 そのとき、アニーはようやく声を出した。
「ダン」
まるで目に見えないロープを足元に張られたように、サンディは体を前に倒して立ち止まった。 じっとしているが振り向かない彼に、アニーは胸の底から語りかけた。
「ダン・フォード。 この家は、そして私も、あなたをずっと待っていたのよ」
深い息が空気を震わせた。
「アニー…」
「10年以上昔、オクラホマに行く前、ときどきここに来ていたのね。 こうやって、うちを見ていたんでしょう? うちの子になればよかったと、心の中で思いながら」
青年の肩が激しく震えた。 そして、今アニーが降りてきた木の幹に倒れかかり、肘を曲げて顔を埋めた。
涙に濁った声が、切れ切れに答えた。
「そうだよ。 トムがうらやましかった。 暖かい家庭……にぎやかな笑い声……それに、君…… 君がたまらなく好きだった。 そばに行きたくて、それでテンプル夫人の誘いに乗ってしまった……」
アニーの唇も激しく震えた。
「あの人には生まれつき毒があるの。 周り中を汚染するのよ。
でもわたし達はもう大人だわ。 あんな人には負けない。 威張り散らすのは好きじゃないけど、あの人には遠慮なくやるつもり。 あなたには指一本触れさせない。 だから逃げないで。 絶対安全なんだから」
さっと体を裏返して背中で幹に寄りかかると、サンディ・ダン・フォードは激しく首を振った。
「彼女は僕だけじゃなく君まで傷つけようとするよ!」
「セアラにはそんなことできないの」
アニーは深く息を吸い込んだ。
「仕方ないから本当のことを言うわね。 私の本名は、エリザベス・アン・テンプルなの。 テンプル本家の、直系の跡継ぎなのよ」
サンディは5秒ほどアニーを見つめていた。 それからずるずると、木の根元に座りこんでしまった。


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