背の高いロビン、つまりミッキーの背中の後ろで、ジェーンは半ば気が遠くなりかけていた。
意識があって、何もかも聞こえていたなんて…… まったくわからなかった。 さすがミッキー・ステュワートと言うべきか、大変な演技力だった。
セアラが帽子もかぶらずに逃げ出していくのを、ジェーンはぼんやり見送った。 ほっとした気持ちがないわけではないが、それ以上に胸に染み渡るような惨めさが大きかった。
カチッと小さな音をさせて、ミッキーがライフルを下げた。 ほぼ同時にジェーンは身をひるがえし、階段に走っていこうとした。
その腕を、ミッキーが素早く掴んだ。 そして、顔をそむける恋人に、かすれた声を投げかけた。
「逃げないで! もう逃げ出す理由なんかないだろう?」
「あるわ。 ありすぎるほどよ」
ジェーンは必死でミッキーを振り切ろうとした。
「あの人は黙っていないわ。 きっとあることないこと言いふらす。 私だけでなく、あなたやこの家をめちゃくちゃにしようとするわ!」
ミッキーはライフルを床に捨て、ジェーンを両腕で引き戻した。
「やらないよ」
「いいえ! あの人はきっと……」
「やらない。 やれないよ、もう。 さっきの引きつった顔を見ただろう? 僕が本気で撃つつもりだとわかったんだ。
セアラには何の後ろ盾もない。 上流夫人になり切ろうとしていたが、元はニューヨークのバーで働いていた女だ。 なぜ父が彼女を後妻に選んだか、僕はずっと不思議だった。
ともかく、うちを離れたらセアラには暮らしていくあてがないはずだ。 それに、君の悪口を言いふらしたら、自分の過去はどうなんだと言われるのがおちだ。 だから心配しないで。 もし万一彼女が何かたくらんでも、絶対に僕がやめさせるから」
じわじわと腕に囲いこまれて、ジェーンは激しい焦りに駆られた。
「待って! ねえ、ミッキー、どうして私なの?」
「どうしても。 僕は君しか欲しくないんだよ。 すてきな人はたくさん知ってる。 まずアニー、それからルイーズ、他にも大勢の美人女優に囲まれていた。 でも、僕は君だけ。
君も確かにきれいだけど、彼女たちと比べて特に美人じゃない。 いい人柄だが、性格のどこがいいかと訊かれても、こことはっきり言えるわけじゃない。 それでも僕は君が欲しい。 ロニーという子供がいたってかまわない。 結婚してくれ。 できるだけ早く。 できれば今すぐ!」
ジェーンは、顔中が皺になるほど固く眼をつぶった。 それから、涙と共につぶやいた。
「一緒に来て。 そしてロニーを見てやって」
左右を素早く見渡して、アニーはバッグの中から黒縁の眼鏡を取り出し、形のいい鼻の上にちょんと乗せた。
細かい字の医学書を読みすぎたせいか、それとも広い草原を離れてせせこましい都会に定住したためか、最近本が読みにくくなっている。 24歳の若さで老眼になりかけてるのか、と溜め息が出た。
棚をずっと調べていくと、目的の本は頭上50センチぐらいのところにあった。 いつも置いてあるはずのハシゴはどこにも見えない。 仕方なく、アニーは小さな机を本棚の下に持っていき、えいやっとよじ上って、本の背表紙に手をかけた。
そのとき、声がした。 ガラガラヘビの警戒音に似た、シューッという声が。
首を伸ばして足元を見ると、思いがけない人がそこに立っていた。 それは、オリーブ色のドレス姿のセアラ・テンプルだった。
あわてずに本を引き出し、小机から身軽に飛び降りると、アニーは天敵を半眼で見すえた。
「どういう風の吹き回し? 病院の図書室までわざわざ来るなんて」
「大事な話があるのよ」
右頬をわずかに歪めて、セアラは微笑んでみせた。
「あなたが内輪で婚約したって噂を聞いたわ。 おめでとう」
うう、気味が悪い――人を祝福することなどまずないセアラの言葉に、アニーは不吉なものを感じた。
「ありがとう。 わざわざお祝いを言いにきてくれたの?」
「そうよ」
妙にしゃがれた声で、セアラは言った。
「本当にめでたいわ。 あなたがロビンじゃなく、あんな子を選ぶなんてね」
「あんな子?」
身長186センチ、年齢29歳のれっきとした男性に使う形容ではなかった。 アニーは眉をしかめ、思わずセアラをにらんだ。
「あなたにサンディの何がわかるの」
不意に首をのけぞらせて、セアラは笑い出した。
「何でもよ! バカな田舎娘ね、あんたは相変わらず。 いい? あんたの婚約者の最初の恋人は、私だったのよ!」
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