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82 当然の報い


 強く握りしめたジェーンの手が、冷や汗でじっとり湿った。 見つかれば何をされるかわからない。 だがテンプル氏は仕事で留守のようだし、なぜか使用人たちは誰も止めに来ないのだ。
  扉を叩く音はいっそう激しく、荒々しくなった。 これでは、戦争の傷が癒えないミッキーには機関銃掃射の音に聞こえるかもしれない。 もう放っておくことはできなかった。 ジェーンは小さく十字を切ると、両手をぎゅっと握り合わせて廊下に出た。
  魔女は、人影を視界に入れたとたん、さっと振り向いた。 念入りにメイクをほどこした顔が、涙と焦りで道化のように変わりはてていた。
  自分に向かって歩いてくる若い女が誰か、セアラは見た瞬間に悟った。 そして、激しい怒りにまかせて、ぎょっとなるような鋭い声を浴びせた。
「なんて厚かましいの! 永久にロビンの前から姿を消しなさいと、あのときはっきり言ったはずよ! あんたなんかロビンの靴を拭く資格もない!
  今すぐ出ていきなさい。 さもないと、あの晩言ったことを実行するわよ。 あんたの汚い過去を徹底的に調べて、全部ロビンと、それに私の主人にもぶちまけてやる!
  玉の輿になんか乗せるもんか。 この家も、ロビンも、私のもの。 お前なんかに指一本触れさせない!
  出て行きなさい! 出ていけ!」
  爪をひらめかせてゆっくり近寄ってきたセアラに、もうジェーンは怖気づかなかった。 まだミッキーは完全に直ったとはいえないけれど、すでに看護師なしで暮らしていけるほど丈夫になった。 どうせいつかは出ていくのだ。 その時期が早まっただけだ。
  かすかにふるえながらも、ジェーンはしっかりした声で言った。
「あなたこそ出ていって。 彼はずいぶん快復したわ。 でもあなたが騒げばまた悪化するかもしれません。 看護師の権限で言います。 すみやかにこの部屋から遠ざかってください!」
  セアラの足が止まった。 小鳥のようにか弱くおとなしいと思っていた相手の突然の反逆に、一瞬戸惑いが見えた。
  それから、前にもまして逆上した。 肘に下げていたバッグを振り回して飛びかかると、セアラは長く伸びた爪でジェーンの顔をかきむしろうとした。
  ガチッと音がして、ドアが開いた。 同時に、氷のような声が廊下に響いた。
「彼女から離れろ!」
  2人の女はいっせいに声のしたほうに顔を振り向けた。 そして動けなくなった。
  戸口には、ロビン・テンプルが立っていた。

  彼の手には、狩猟用のライフルが光っていた。 しっかり構えた手は微動もしない。 照準は、ぴたりとセアラの眉間あたりに据えられていた。
  セアラの手が、ジェーンの顔の前から離れ、肩を伝ってそろそろと下に下りた。 口の周りに、卑屈な笑いが張りついた。
「ロビン……」
  冷静そのものの口調で、青年はライフルの銃口を少し動かして合図した。
「そっちへ行け」
「でも……」
「さっさと行け!」
  底冷えのする声で一喝されて、セアラはすくみ、横へ体をずらした。 ロビンは銃を構えなおし、危なげない足取りで二人に近づいた。
  ジェーンの前に立って背中に庇うと、彼は静かだが苦々しさを一杯にこめた声で言った。
「何人不幸にしたら気が済むんだ。 父に、ダンに、ジェーン、そして僕」
「ロビン……!」
「何を聞いたって、僕は驚かないよ」
  濃青色の目を義母にすえながら、ロビンは落ち着いて宣言した。
「僕はシェルショックじゃない。 初めから意識はちゃんとあった。 ただ、しゃべる気力がなかっただけだ。
  ジェーンは僕に、すべて話してくれた。 たぶん聞こえてないと思っていたからだろうけど。 春になったら出ていくと、彼女はずっと言いつづけていた。 だから僕は快復するわけにはいかなかったのさ。 直ったらまた彼女を失う。 そんなのは耐えられなかった」
  セアラが動こうとしたので、ロビンの視線が刃のようになった。
「じっとしててもらおう。 撃たないと思ってるなら、甘いよ。 僕は実戦を経験してきたんだ。
  あんたは人使いが荒くて、意地が悪い。 この家の人間は一人残らずあんたを嫌っている。 たとえ僕があんたを射殺しても、事故として庇ってくれるだろう。
  信じないかい? じゃ、試してみるか」
  引き金に指がかかった。 セアラの喉から締められたような悲鳴が漏れた。 彼女は、あっという間に向きを変えると、転げるように階段を駆け下りていった。


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