強く握りしめたジェーンの手が、冷や汗でじっとり湿った。 見つかれば何をされるかわからない。 だがテンプル氏は仕事で留守のようだし、なぜか使用人たちは誰も止めに来ないのだ。
扉を叩く音はいっそう激しく、荒々しくなった。 これでは、戦争の傷が癒えないミッキーには機関銃掃射の音に聞こえるかもしれない。 もう放っておくことはできなかった。 ジェーンは小さく十字を切ると、両手をぎゅっと握り合わせて廊下に出た。
魔女は、人影を視界に入れたとたん、さっと振り向いた。 念入りにメイクをほどこした顔が、涙と焦りで道化のように変わりはてていた。
自分に向かって歩いてくる若い女が誰か、セアラは見た瞬間に悟った。 そして、激しい怒りにまかせて、ぎょっとなるような鋭い声を浴びせた。
「なんて厚かましいの! 永久にロビンの前から姿を消しなさいと、あのときはっきり言ったはずよ! あんたなんかロビンの靴を拭く資格もない!
今すぐ出ていきなさい。 さもないと、あの晩言ったことを実行するわよ。 あんたの汚い過去を徹底的に調べて、全部ロビンと、それに私の主人にもぶちまけてやる!
玉の輿になんか乗せるもんか。 この家も、ロビンも、私のもの。 お前なんかに指一本触れさせない!
出て行きなさい! 出ていけ!」
爪をひらめかせてゆっくり近寄ってきたセアラに、もうジェーンは怖気づかなかった。 まだミッキーは完全に直ったとはいえないけれど、すでに看護師なしで暮らしていけるほど丈夫になった。 どうせいつかは出ていくのだ。 その時期が早まっただけだ。
かすかにふるえながらも、ジェーンはしっかりした声で言った。
「あなたこそ出ていって。 彼はずいぶん快復したわ。 でもあなたが騒げばまた悪化するかもしれません。 看護師の権限で言います。 すみやかにこの部屋から遠ざかってください!」
セアラの足が止まった。 小鳥のようにか弱くおとなしいと思っていた相手の突然の反逆に、一瞬戸惑いが見えた。
それから、前にもまして逆上した。 肘に下げていたバッグを振り回して飛びかかると、セアラは長く伸びた爪でジェーンの顔をかきむしろうとした。
ガチッと音がして、ドアが開いた。 同時に、氷のような声が廊下に響いた。
「彼女から離れろ!」
2人の女はいっせいに声のしたほうに顔を振り向けた。 そして動けなくなった。
戸口には、ロビン・テンプルが立っていた。
彼の手には、狩猟用のライフルが光っていた。 しっかり構えた手は微動もしない。 照準は、ぴたりとセアラの眉間あたりに据えられていた。
セアラの手が、ジェーンの顔の前から離れ、肩を伝ってそろそろと下に下りた。 口の周りに、卑屈な笑いが張りついた。
「ロビン……」
冷静そのものの口調で、青年はライフルの銃口を少し動かして合図した。
「そっちへ行け」
「でも……」
「さっさと行け!」
底冷えのする声で一喝されて、セアラはすくみ、横へ体をずらした。 ロビンは銃を構えなおし、危なげない足取りで二人に近づいた。
ジェーンの前に立って背中に庇うと、彼は静かだが苦々しさを一杯にこめた声で言った。
「何人不幸にしたら気が済むんだ。 父に、ダンに、ジェーン、そして僕」
「ロビン……!」
「何を聞いたって、僕は驚かないよ」
濃青色の目を義母にすえながら、ロビンは落ち着いて宣言した。
「僕はシェルショックじゃない。 初めから意識はちゃんとあった。 ただ、しゃべる気力がなかっただけだ。
ジェーンは僕に、すべて話してくれた。 たぶん聞こえてないと思っていたからだろうけど。 春になったら出ていくと、彼女はずっと言いつづけていた。 だから僕は快復するわけにはいかなかったのさ。 直ったらまた彼女を失う。 そんなのは耐えられなかった」
セアラが動こうとしたので、ロビンの視線が刃のようになった。
「じっとしててもらおう。 撃たないと思ってるなら、甘いよ。 僕は実戦を経験してきたんだ。
あんたは人使いが荒くて、意地が悪い。 この家の人間は一人残らずあんたを嫌っている。 たとえ僕があんたを射殺しても、事故として庇ってくれるだろう。
信じないかい? じゃ、試してみるか」
引き金に指がかかった。 セアラの喉から締められたような悲鳴が漏れた。 彼女は、あっという間に向きを変えると、転げるように階段を駆け下りていった。
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