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70 もう離さない


「危険? それが何?」
  乾いてひび割れたルイーズの唇から、かすかな叫びがほとばしり出た。
「私は無邪気でも何でもなかった。 けっこうませていて、知識ではいろんなことを知ってたわ。
  あなただから、あなただったから話しかけたの。 他の男の子は、ロビンでさえ警戒してたのに。 
  私ね、ずっと昔の雪の日に、母においてきぼりにされたの。 あの頃はしょっちゅうそういう目に遭ってたわ。 たぶん母は、私がさらわれるか車にひかれればいいと思ってたのよ。
  でも子供って、親にしがみつくしか生きていく道がないでしょう。 だからむりやり、迎えに来てくれるって信じてた。
  そのときね、背の高い男の子が来て、何してるの? って訊いてくれたの。 6歳と半年でもう人生あきらめかけてた私に。 そしてね、ちょっと乱暴に励ましてくれた。 あと何年か辛抱してたら親なんかほっぽって出ていけるって。
  覚えてる? たぶん覚えてないでしょうね。 でもその年からずっと、クリスマスカードくれたよね。 普通の家族、普通の友達みたいに。
  だから私にも、あなただけが身内だった。 大切なのは、いつも……」
  涙で喉がふさがれたルイーズを、アレックスは夢中で引き寄せ、厚い胸に包みこんだ。
「覚えてるよ! 小さな雪だるまになっちゃうと言ったんだ!
  わかっただろう? 俺には君が必要だ。 君にもきっと俺が…… ルイーズ! 結婚しよう!」
  ルイーズは小さく2度、うなずいた。


 その夜は美しく晴れて、星が絨毯のように空を埋めた。 2人は窓辺に寄り添って立ち、夜空を見上げた。
  星がひとつ流れた。 ルイーズは、あっと思った。 アレックスも同じことを同時に考えたらしく、ルイーズの肩に手を置いて低い声で言った。
「バリー・テイラーは俺を許してくれるだろうか」
  ルイーズは、アレックスの腕をマフラーのように首に巻いて目を閉じた。
「あなたに恨みを持つはずはないわ。 バリーを殺したのは私だもの」
  アレックスは鋭く息を呑んだ。
「ばかなことを言うんじゃないよ!」
「でもそうなのよ」
  ルイーズの声は、湿って深かった。
「母が人を雇ってバリーのことを調べ始めたの。 彼はイギリス時代いろいろあったらしくて、もう俳優を続けられないとわかって志願したの」
「違うんだ、ルイーズ」
「え?」
  確信を持って言い切るアレックスに、ルイーズは驚いた。
「なぜそう思うの?」
「つまり……俺は彼に会ったんだ。 出征する前に」
 

「オーウェル様。 テイラー様とおっしゃる方がお会いしたいと」
  秘書のデリアノの無表情な声が書斎に響いた。 アレックスははっとしたが、秘書に負けない平らな声で、
「お通ししなさい」
  と言った。 すぐにきびきびした足音と共に、バリーの整った姿がドアから入ってきた。
  彼は、舞台やパーティーで見せる端正な様子とはどこか違って見えた。 口を切るとすぐ、なぜそうなのかがわかった。
「悪いな、忙しいとこを不意に来て。 どうしても確かめなきゃなんねえことがあったんでな」
  生粋のコックニーなまり( =ロンドン下町の言葉 )だった。 アレックスはロンドンやオーストラリアにいたことがあるので、その早口を理解することができた。
「何を?」
  バリーの眼が面白そうに光った。
「驚かねえな。 俺が誰かも知ってるな」
  アレックスはうなずいた。 その全身を素早く見回してから、バリーは冷静に続けた。
「婚約するって噂だが?」
「そのとおりだ」
  バリーの視線が、アレックスを鋭く射た。
「ルイーズと同じ間違いをする気なのか?」
  2人の視線が激しくからみ合った。


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