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64 葬儀の後


 


 葬儀の翌日、ルイーズは聖ヨハネ教会にゆっくりと入っていった。 教会は深閑としていて、誰の姿もなかった。
  祭壇の前に膝をつくと、ルイーズは妙にはっきりした声で呼びかけた。
「嘘ですね。 バリーが死んだなんて、嘘に決まってますね。 砲弾で吹き飛ばされて、何一つ遺品がないなんて、そんなこと……
  行方不明になったんですよね。 きっと捕虜になってるんです。 戦争が終わったら、きっと帰ってきますよね」
  声は、次第にかすれを帯びた。
「帰ってこないはずはないんです。 私にはバリーが必要です。 フランスよりはるかに私の方がバリーを必要としていたのに……」
  泣いたら最後だ、とルイーズは思った。 それで、急いで立ち上がって、涙を乾かすために外に出ようとした。
  だが、出口には誰かが立っていた。 黒い服を着た、背の高い男だ。 手に帽子を持っていることまではわかった。 どことなく見慣れた感じがする。 ルイーズはためらって、通路の途中で立ち止まった。
  男は動き、ぎこちない声で呼びかけた。
「ルイーズ……おまえは一人で我慢しすぎる。 こんな父親でも、答えてくれない神様よりはましな聞き手になれると思わないか?」
  ルイーズは、数秒間放心状態で立ち尽くしていた。 それから自分でわからないうちに、つんのめるようにして走り出した。 そして、生まれて初めて父親の腕に飛び込んだ。
  娘をしっかり抱きしめながら、サー・チャールズはこもった声でささやいた。
「どんなに辛くても認めなきゃいけない。 目撃者が何人もいるそうだ。 バリー・テイラーは、塹壕の縁に出たところで砲火にやられた。 あっという間の、苦しみの少ない死に方だった」
  ルイーズは父の肩に額を置いてじっとしていた。 サー・チャールズも、娘の背を撫でながら動かずに立っていた。
  やがてルイーズは、静かに泣き始めた。 かすかな泣き声が耳に入ったとき、サー・チャールズは心からほっとして眼を閉じた。


 その夜、明け方に近い時刻まで、父と娘は語り合った。 サー・チャールズはルイーズを、アメリカでの仮住まいに連れ帰り、居間で紅茶を手ずから入れてもてなした。
「こんな風にして話せるときが来ないかと、ずっと思っていたよ。 おまえがわたしの娘だと知った日から」
  紅茶を飲む手を止めて、ルイーズは父を見上げた。
「娘だと知った日?」
「そうだ。 言い訳にもならないが、おまえたち親子の写真が大きくヴォーグのグラビアに載るまで、わたしは全然知らなかったんだ」
  サー・チャールズは、アルバムを引出しから持ってきて、ページの中ごろをルイーズに示した。 そこには、長い髪を波打たせ、いくらか体を斜めにしてポーズを取った、ほっそりした少女が写っていた。
「わたしの妹のメリッサだ。 15で死んでしまったが、このとおりおまえにそっくりだ」
  ルイーズは、眼の大きい感受性の強そうな少女の写真を、指先でそっと撫でた。
「私より、ずっときれい」
「とんでもない」
  サー・チャールズは笑った。
「おまえの方が、はるかにきれいだよ。 今ではね。 だが、あの当時はそっくりだった。
  わたしはすっかりのぼせてしまって、おまえの……母親に電報を打った。 会わせてくれと頼んだのだが、なしのつぶてだ。 それで意地になって、秘書に迎えに行かせたんだ。
  彼女は母親で、おまえを育てた。 だが、わたしも実の父親だ。 顔を見る権利ぐらいあると思った」
  窓のほうを向いて話すので、サー・チャールズの声はやや不鮮明になっていた。
「おまえが大変な優等生だということは、秘書から聞いて知っていた。 なりたいなら学者にでも教授にでも、わたしならさせてやれる――そう思った。 もちろん別の道に行っても、社交界の貴婦人になってもいい。 したいようにさせてやりたかったんだ。
  正直言うと、おまえが来るまでにわたしは構えてしまっていた。 別れる前、グロリアと連日口喧嘩ばかりで、ひどく傷ついた思い出が戻ってきたんだ。 あのグロリアの子ならどんなに辛辣だろう、あんなに大きくなるまで放っておいた恨みをぶつけられるに違いないと決め込んで、まあ……はっきり言うとおびえていたんだ。
  だが、いざ来てみると、想像とは大違いだった。 おまえは静かだが芯が強く、並外れて思いやりがあった。 レティーはまったく人前で話せない子だったのに、初対面でおまえになついてしまった。 びっくりしたよ。
  わたしはおまえを誇りに思った。 そうしたら次第に欲が出てきて、アメリカへ返したくなくなったんだ。 イギリスで立派な男と結婚させて、と夢見るようになった。 勝手な話だ」
  ルイーズは黙って写真に視線を置いていた。 涙でかすんで、ほとんど見えなかったが。
「あの男と2人でアメリカに戻りたいんだと、そう思った。 だから帰るなら帰れと突き放した。 恋人だから連絡を取りあうと思ったのに、あの日の午後、彼が尋ねてきたときには……」
  サー・チャールズは顔を手で拭って、唇を一瞬噛みしめた。
「彼は、たしかオーウェル君と言ったな、自分の事情を全て話してくれた。 ゴトフリーという運転手に付き添われていた」
  ゴドフリーとは、クラレンスの苗字だった。
「彼は、5歳の頃から狙われていたらしいね。 立て続けに妙な事故が起こるので、心配したある人物が、園丁と小間使いと、それに運転手のゴドフリーの3人をオーウェル邸に入れたそうだ。 その人物が誰かは言わなかったが。
  そのうち、標的にされていることに気付いたオーウェル君が、周りを巻き込むまいとして単独行動を取るようになり、護衛が難しくなった。 警察に訴えろと何度も助言されたそうだが、オーウェル君は、実の父を罪に落とすのは耐え難いと、承知しなかったと聞いた」
  アレツクスならそうだろう。 ルイーズは激しく胸が痛むのを感じた。
「おまえ、彼の命を二度救ったそうだね。 そんなに固い絆があったのに引き裂いたと、わたしはレティーにくそみそに言われたよ。 あんなことは初めてだった。 あの子は本当におまえが好きなんだ」
  のろのろと振り向くと、サー・チャールズは言葉をつないだ。
「愚かな親だ。 わたしもグロリアと変わらなかった。 レティーはあれからすっかり気がふさぎ、おまけに戦争におびえてしまって、不眠症になったので、危険を冒して船でアメリカに避難してきたんだ。 4日前だよ」
  ルイーズは、声が出せなかったので小さく首を振ってうなずいた。

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