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63 戻ってきて!


 ルイーズは、読み終わった後もしばらく手紙を握りしめたままだった。 驚きで全身がしびれていた。 特に頭が。
  それからルイーズは、デズデモーナの気持ちがわかったと思った。 偏見の壁は厚いが、心の中まで毒されている人間と、そうでない人間とがいる。 ルイーズは後者だった。 夫に黒人の血が流れていると突然知らされても、怒りや虚脱感は少しも感じなかった。
  やがて、激しい同情と哀しさが胸にこみあげて、ルイーズは手放しで泣きはじめた。
「バリー…… どうして行ってしまったの…… 愛してくれていたなら、どうして……」


「オジキン、手紙だぞ」
  ゲートルをほどいて、ふやけた白い足首をもんでいた眉目秀麗な青年が顔を上げた。
「僕に?」
「そうだ。 アロルド・オジキン。 君だろう?」
  バリーは内心首をかしげながら小包を受け取った。 差出人の名前も住所も書いていない。 姉のデイジーだろうか。 他に考えられないが、姉はこんなきれいなタイプは打てない……
  手紙を開いた瞬間、バリーの顔が真っ青に変わったので、横にいた同僚がびっくりして声をかけた。
「どうした? 悪い知らせか?」
  一言も答えず、聞いたという反応さえ見せずに、バリーは手紙を握ったまま塹壕〔ざんごう〕の端にある小屋の陰に行った。 同僚は肩をすくめて呟いた。
「いつも愛想の悪い奴だ」
  砲弾のめりこんだ痕がなまなましい土手の横で、バリーはひとつ深呼吸すると、再び手紙を開けた。 指はふるえ、胸は煮立った鍋のように鳴っていた。
 
『愛しいバリー
  お手紙読みました。 そして、膝が抜けるほど驚きました。 前半にではありません。 後ろの方で、あなたがわたしについて書いていたところにです。
  私を愛している、サザンプトンから出航した船で出会って以来ずっと好きだった――あなたはそう書いていましたね。
  私もお返しに書きます。 あなたを愛しています。 好きでなければ結婚しませんでした。
  これでやっと、2人とも素直になれましたね。 遠く離れた後でしかわかり合えなかったのが、とても悲しい気持ちです。 自由にフランスに行けたら、あなたの口からじかに聞けたのに、と思います。 もっともあなたは照れ屋だから、面と向かえば何も言ってくれないかもしれませんね。
  大好きなバリー。 あなたの手紙を読んでから、一ヶ月あまりになります。 一時の興奮や気の迷いではなく、落ち着いてこれを書いています。 今の気持ちではっきり言えることは、あなたがどこの誰だろうと、わたしの見る目は少しも変わらなかったという事実です。
  あなたはしっかりとした正しい人です。 私はあなたを尊敬しています。 親が誰で、以前何をしていようと、あなたはあなた、自分を卑下する必要なんかありません。
  今ニューヨークは暑い盛りです。 そちらはどうですか? 手を尽くして調べて、ようやくカルカソンヌ近くにいるとわかったときには涙が出ました。 お姉さんたちは今でもフランスにいらっしゃるのですか? そうなら、あなたはきょうだいの祖国を守っているのですね。 力いっぱい戦ってください。 でもどうか体を大事にして。
  いそいで出かけたから、お気に入りの懐中時計を忘れましたね。 途中でなくなるといけないから、同じものを買って送りました。 やっぱり時計は必要でしょう?
  一緒に靴下と下着も入れておきました。 無事に届くといいのですが。 もし届かなければ何度でも送ります。 短くてかまわないからきっと返事をくださいね。 待っています。
 

あなたのルイーズ』

 


 バリーは、ゆっくりと手紙を持った手をわきに垂らし、堅く目をつぶった。 体の芯から熱いものが突き上げてきて全身を満たした。
  アメリカを出帆したとき、彼はすべてを後に残してきたと感じたのだった。 夢、喜び、希望のすべてを。 そのとき、彼は1つの境地に達していた。
  だが、不意に舞い込んできたルイーズの手紙は、その悟りを一瞬で粉々にしてしまった。
  嬉しいのか苦しいのか、バリーは自分がわからなかった。 ふたたび深く吐息をついたとき、小屋の戸が開いて、軍曹のごま塩頭が突き出された。
「さぼるんじゃない! 銃を取って向こうに並べ!」


  バリーの訃報が届いたのは夜だった。 ルイーズは舞台で、戦争を題材にしたミュージカル『陽気な兵隊さん』を歌い踊り、11時すぎにようやく家に戻ってきた。 そして、新しく雇った小間使いのメアリに、戦時郵便を渡された。
  中をあけたとき、目がちかちかした。 字が流れるように見えて、読み取れない。 しばらく見つめているうちに、ようやく意味がわかってきた。
「ダボアの戦線にて、2名の敵兵を倒した直後、名誉の戦死」
  名誉の…… ルイーズは紙をポケットに押し込み、乾いた眼のまま自分の部屋に入った。 そして翌日の午前中まで、まったく姿を見せなかった。
 

  バリーの葬儀は、演劇関係者だけで内輪に行なわれた。 しかし墓地の周りはファンが取り囲み、新聞や雑誌記者の数は列席者を上回るほどだった。
  ある新聞記者は、未亡人はヴェールの下であくまでも美しく毅然としていたと書いた。 一部のファンは、ルイーズ・マレーはしっかりしすぎている、性格が冷たいと囁き合った。

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