ルイーズは鏡の前に立って、鼻歌を歌いながら薄いコートを着ていた。 ベッドにだらりと寄りかかったバリーが、雑誌を勢いよく机に放り投げた。
「イタリア戦線じゃ一進一退だそうだ」
ボタンを止めるルイーズの指が動かなくなった。 さっと振り向くと、ルイーズはベッドに直進してバリーのガウンを掴んだ。
「イギリスは大丈夫よ。 カイゼルだって、イギリスは侵略できないわ」
腕を枕にして、バリーはどしんとベッドに横たわった。
「みんな戦場に行ってる。 アメリカに来るのは兵役逃れのクズばかりだ」
「やめて、ね? バリー」
ルイーズは珍しく取り乱していた。
「あなたは戦争前にアメリカに移っているのよ。 就業許可も取っているし、市民権を申請するつもりだって言っていたでしょう?」
「今のこの時期にか?」
「バリー……!」
遂にルイーズは叫び声を上げた。
「あなたはれっきとしたイギリス人だから、イギリスが危なくなれば誰が止めても行ってしまうでしょう。 でも私はいやよ。 あなたに行ってほしくない。
今度の戦争は悲惨そのものよ。 慰問で知ってるでしょう? 命を落とす危険はもちろん、地雷で腕や足を失ったり、毒ガスにやられたり…… 誰があんな地獄にあなたをやるものですか!」
バリーは顔をそむけて寝返りを打った。
「他の男たちは行っているんだ」
「そうよ、行ってるわ。 周りの圧力で仕方なく行く人も多いわ。
バリー、何があっても行くなと言っているんじゃないわ。 同盟軍がイギリス上陸作戦を開始したら、そのときはもう止めないわ。 止めても無駄でしょうし」
ルイーズは耐えられなくなって、バリーの手を掴むと涙を流し始めた。 その手を振り切るようにして、バリーはベッドに起き上がった。
「わかったよ。 泣くな。 今すぐどうのこうのと言うんじゃないんだ。 仮縫いに行くんだろう? 早くしろよ」
ルイーズは眼鏡をかけ、麦藁帽子を被り、化粧っ気なしで、まるごとどこかの女学校教師のような身なりで木の横に立っていた。
その様子を、借りてきた車の中から灰緑色の眼がじっとうかがっていた。 10日か2週間に一度、午後一杯出かけて、考え込みながら返ってくるルイーズ。 その日は大抵ずっとぼんやりしていて、バリーが話しかけても上の空のことが多かった。
仮縫いなんかじゃない、男と会っているんだ、とバリーは確信していた。 今日こそルイーズのデートの相手を突き止めてやる、と彼は心に決め、4日も前から車を借り、新しいコートを友人に預けておいたのだ。
しかし、その相手が恋人とは信じられなかった。 たまのデートに、こんな無粋な格好で出かける女がいるだろうか。 大騒ぎで着飾るのが普通というものだ。 それをルイーズは、バリーにさえ見せたことがないほど地味な服、地味な態度だ。 これは何かいまわしいこと、例えば脅迫ではないか、とバリーは以前から疑いを抱いていた。
間もなく一台の車がやってきて、警笛を鳴らした。 ルイーズは伸び上がって手を振った。 バリーは緊張し、目をこらして眺めたが、車は平凡なフォードだし、乗っている人間も風防眼鏡にスカーフ姿で、どこの誰やらまったくわからなかった。
こうなっては仕方がない。 乗りかけた船だ。 バリーは注意しながら2人を尾行していくことにした。 幸い2人は全然背後に注意を払わず、なにやら肩を寄せ合って話をしていた。
郊外の小川のほとりで、2人の乗った車は止まった。 バリーは一旦その車を追い越し、曲がり角をカーブしたところで止めて、徒歩でそっと戻った。
複雑な後ろ暗い気持ちで覗いていると、男は眼鏡を外し、スカーフを車に入れた。 やがて向き直った顔を見て、バリーは危うく声を立てるところだった。
黒い髪、黒に近い青の眼、厳しい口元と顎の線。 それは確か、市長のパーティーでルイーズと踊った男だった。 アレキサンダー・オーウェル。 大財閥の跡取りで、噂によれば以前は札付きの不良だったそうだ。
やはり想像通りだった、と、バリーは苦い思いで2人を見つめた。
アレックスは深刻な顔をしていた。 そのため、日頃より一段と冷たそうに見えた。 その横に、ルイーズはしょんぼりと立っていた。
やがて2人は議論しはじめた。 相当激しく言い争っている。 声が届いてこないので、いらいらしたバリーは腹ばいになって、茂みの陰に忍び寄った。 ルイーズが危なくなったら、すぐに飛びかかれるように。
深い、男らしい声が言った。
「どうしていけないんだ?」
ルイーズが硬い声で答えた。
「どうしてもよ。 説明してもわかってもらえないわ」
「じゃ、なぜ話した!」
アレックスの声は、珍しく尖っていた。 ルイーズは目を伏せて横を向いた。
「他に話せる人がいなかったの。 ミッキーがいなくなってからは……」
ルイーズは言葉を切った。 アレックスは、ゆっくりと手を腰に当て、まばたきして呟いた。
「ミッキー……マイケル・ステュワートか。 あれはロビンだろう?」
「ええ、そうよ」
ルイーズは静かに答えた。
「私のただ一人の親友、ロビン・テンプルよ。 あなたの又いとこの」
バリーは茂みの後ろで唾を飲み込んだ。 この2人は前からの知り合いなのか……
アレックスはためらい、咳払いした。
「君とロビンが一緒になるんじゃないかと、俺は思っていたんだ」
ルイーズは微笑した。
「宣伝よ。 私たちそんな仲じゃなかったわ」
アレックスは、さっと振り返った。 緊張した表情が、バリーの真正面に来た。
「俺のせいか?」
思ってもみないことを言われて、ルイーズは面食らった。
「え? どうして? つまり……あのこと? ミッキーはぜんぜん知らないはずよ。 あの人にはかかわりのないことでしょう?
アレックス、はっきりさせておくわ。 私はミッキーが大好きだったけど、それ以上でもそれ以下でもないわ。 あのまま百年共演していたって、恋愛なんかしなかったでしょう。 もちろんミッキーの方もよ。 まるでそういう雰囲気じゃなかったわ」
「恋がすべてじゃないと、君自身がそう言ったじゃないか」
ルイーズは一瞬沈黙した。 それから、とても静かに言った。
「そうね、一時的な熱病ならね」
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