くしゃくしゃになったヴェールを直しながら、不意に急ブレーキをかけたアレックスに、ルイーズは冗談半分に大声をあげた。
「アレックス! 私の顔にひびを入れるつもり?」
「ごめん。 犬が横切ったように見えたんだ」
犬なんかどこにも、と言おうとして、ルイーズは息を呑んだ。 ハンドルを握りしめたアレックスの顔は蒼白で、目は血走っていた。
「アレックス、どうしたの? 気分が悪いの?」
「いや……」
すぐに落ち着いて運転を始めながら、アレックスは低い声で言った。
「父が亡くなって、仕事を引き継いで間も無しだから、少し疲れているのかもしれないな。 でも大したことはないよ」
「わっ! 見て! 見て、アレックス!」
「いいよ。 動かないで、ゆっくりあげて。 そうそう」
体をほとんど真っ二つに折って抵抗する魚を、アレックスは慣れた手つきで手網に収めた。 ルイーズは、初の快挙に酔って、息をはずませていた。
「きれいな魚…… 大きく見えるわ」
「大ものだ」
とアレックスは保証した。
「最初に大ものを釣るとは運がいいね」
「ほんと」
ルイーズがいつまでもうっとり眺めているので、アレックスは笑い出した。
「一匹で満足しないでくれよ。 さあ、もっと釣ろう」
「見れば見るほどきれいなものね、魚って」
「ニジマスだからな。 きれいな種類の魚なんだ」
「きれいだし、元気。 魚ってみんなこんなにはねるの? 怖いぐらいね」
「思ったより力が強いだろう? 野性の生き物はみんなそうさ。 俺はウサギに蹴飛ばされて、あざができたことがあるよ」
しぶしぶ魚から目を放して、ルイーズは釣り針に餌をつける難事業に取りかかった。
「いたっ」
「目をつぶってやるからだよ。 ミミズがそんなに嫌かい?」
「ミミズも私もお互いに嫌がってるの」
吹き出して、アレックスはルイーズから釣り針を受け取った。
「めがねちゃん。 変わったのは見かけだけで、中身は昔通りなんだな。 相変わらず愉快なことを言うね」
「私が愉快?」
「そうだよ。 君といると全然退屈しない」
「本当に?」
ルイーズには信じられなかった。
「私は昔から面白くない人間の代表みたいに言われているのよ」
「その連中は君を知らないんだ」
と、アレックスはあっさり片づけた。 そしてルイーズに笑顔を向けて、釣り竿を渡した。
彼と並んで釣り糸を垂れながら、ルイーズはそっと言った。
「あなたは見かけも中身も変わったわ。 紳士になったのね。 堂々としているし」
「もともと紳士だよ」
と、アレックスはすまして言った。
ルイーズは笑って、釣り竿を持っていないほうの手を伸ばすと、彼の膝上に触れた。
「紳士さん。 もう傷痕は消えた?」
「ほとんどね。 君の手当てがよかったから」
アレックスはやや早口に言った。 そして、ルイーズの手を取ると、スカートの上に戻した。 ルイーズはがっかりして、伏し目勝ちになった。
3匹釣ったところで、2人は道具をしまい、魚を焼くことにした。 採りたての魚のおいしさを、ルイーズは初めて知った。
「バターで焼くと、こんなに香ばしいのね」
「だろ?」
だが内心、焼けて白くなっていく魚の目が辛くもあった。
食べ終わって火をきちんと始末し、周りを片づけて、二人は車に向かった。
どちらも何となく無言だった。 けだるい空気が2人を取り巻いていた。 ルイーズは小石につまずき、アレックスの腕にすがりついた。
すかさずアレックスが言った。
「めがねの子猫ちゃんは、腹いっぱい食って眠くて、瞼が落ちそうなんだ」
「大きな虎さんとは胃袋の出来がちがいますからね」
すかさず言い返して、ルイーズはやっと楽な気分になることができた。
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