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50 崩壊


 そこは豪華な広間だった。 タキシードを着た男が2人、赤いイヴニングドレスをまとった女が1人、勝利に顔をほてらせて立っていた。
「さあ、祝杯だ。 明日で遂に代理が解ける!」
「名実共に社長になる日だね。 僕が社長、お父さんが会長」
「どういうわけで、ステラがわしを信用せず、アレックスの後見にしなかったかわからんよ。 わしに任せてくれれば、今の倍の地価で土地が売れたんだが…… まあいい。 軍需景気は続いているし、まだまだ間に合う」
「そうだよね。 乾杯!」
「乾杯!」
  ショーンが音頭を取って、親子3人はグラスを合わせた。
  そのとき、カチッという別の音がした。 庭に面しているフランス窓が開き、黒ずくめの姿が、流れるような足取りで入ってきた。 
  その影がシャンデリアに近づき、顔が判別できるようになったとき、当惑とあせりで3人は立ちすくんだ。
  真っ先に動けるようになったのは、若いショーンで、前に飛び出すと鼻息荒く怒鳴った。
「何だ、きさま! もううちの奉公人じゃないんだ。 これは完全な不法侵入だぞ!」
  入ってきた男、クラレンスは、無表情のまま、落ち着きはらって言った。
「お言葉ですが、この屋敷にいる権利がないのは、あなた方のほうだと思います。
  アレキサンダー・オーウェル氏は、本日午後2時にニューヨークにお着きになり、弁護士のサイモン・マーティン氏の立会いのもとで、ライランド銀行のリック・マーカンタイル氏とオーウェル倉庫社長イアン・デイヴィス氏の承認を得て、ステラ・ライランド・オーウェル様の遺産をすべて、引き継がれました」
  デレク・オーウェルの手からグラスが落ちて、エナメルの靴に当たって砕け散った。
  それから、デレクは首に手をやった。 締め付けられるような動作をして、2回、3回とぐるぐる回転した。 そして、あっけに取られているナディア夫人の前で、いきなり棒のように倒れた。
  夫人の悲鳴が、広い庭まで響き渡った。 おびえたショーンは、倒れている父にではなく、立ちすくんで叫び声をあげている母に飛びついた。
  クラレンスは冷たい刃のような視線で、じっとオーウェル氏を見下ろしていた。 倒れて小さく痙攣している氏を救おうとする者は誰もいない。 ナディアは夫に取りすがろうとはせず、まるでデレクが大きな瀕死の昆虫か何かのように、息子を固く抱きしめて、気味悪そうに眼をそむけていた。 財産を失った男、それはもうナディアの中ではなんの値打ちもないものだった。


「おべんちゃらさ。 くだらない」
「お客様へのサービスよ。 これだって仕事のうちだわ」
「市長のパーティーに出るのがか? 役者は舞台で勝負するものだ。 パーティー会場でじゃない」
「本筋は確かにそう」
と、ルイーズは静かに認めた。
「それに、市長さん自身もパーティーなんかわずらわしいと思っているでしょうね。 でも、開いたからにはお金と手間がかかっているし、成功させたいと願ってるわ」
  バリーはじれったそうに体を動かした。
「忘れるなよ。 君は今、大事な体で……」
「大丈夫。 もう5ヶ月過ぎて、安定期に入ったそうだから。 おなかの赤ちゃんには差し障りはないはずよ。
  今の市長は派手好きだけど、福祉ではなかなか頑張ってるの。 政策も穏健で芝居にも理解があるわ。 ね、バリー、少しだけ時間を割いて応援してあげましょうよ」
  バリーは鼻を鳴らしたが、もう行かないとは言わなかった。

  華やかに白とピンクの薔薇で飾りつけられた会場を、ボーイが慣れた足さばきで音もなく動き回っていた。 ルイーズは後援者や紳士たちに取り巻かれていた。 バリーの方も相変わらず女性ファンの憧れの的になっていたが、いつも通り無愛想そのもので、禁酒運動で有名なデパート王の夫人にいろいろ話し掛けられても、シャンパンをあけながら時折り短く返事するだけだった。
  もっとも、そのすげない態度が今ではトレードマークのようになって、逆に人気を取っているらしいので、ルイーズは気にしないようにしていた。
  市長が横で、新しい市庁舎の自慢を始めた。 エレベーターが3基もついているという。 それに展望台には最新式の望遠鏡が取り付けてあって、10セント入れると摩天楼が手の届く距離に見えるそうだ。
  ルイーズは微笑して聞き入っていたが、そのとき不意に市長が口をつぐんで息を呑むのが聞こえた。
  話を途中で打ち切って、市長は自ら入口に早足で飛んでいった。 やがて、ひどく嬉しそうな声が、ルイーズたちの耳に届いた。
「ようやく来ていただけましたな。 さあ、どうぞこちらへ」
  市長に導かれて、相当大きな姿が近づいてきた。 ルイーズはどきっとした。 顔はまるで見えない。 全体の輪郭がなんとかわかる程度なのだが、歩き方、肩の動かし方、微妙な動作のひとつひとつが意識にじかに響いてきた。
  意気揚揚と、市長は新しい客を紹介した。
「皆さん。 オーウェル財団の新しい宗主、アレキサンダー・オーウェルさんです。 オーウェルさん、こちらはブロードウェイの花、ルイーズ・マレーさん。 こちらはアクメ石油のギルソンさん。 そしてこちらは中部鉄道会社のマグラスさん」
  ルイーズは、かろうじて会釈することができた。 アレックスは人々に軽く頭を下げ、一段と深みを増した声で言った。
「お招きにあずかり光栄です。 今後ともよろしくお願いいたします」
  これが本当に、私の知っているあのアレックスなの? ――ルイーズは渦に巻き込まれたような、うまく言い表せない目まいを感じた。
  あんなに無愛想で人付き合いの下手だったアレックス。 だが、今の簡潔で場をわきまえた挨拶はどうだろう。 大会社の社長たちを前にして、少しもおじけた様子がない。 堂々としているじゃないか。
  ひとしきり景気や気候の話を交わした後、アレックスはごく自然にルイーズに向き直った。 そして言った。
「マレーさん。 踊ってくださいますか?」

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