男の子がアニーを案内したのは、屋根が斜めにつけてある小屋の裏手だった。 そこで、大きな帽子を頭に載せた大男が、2人に背を見せて、薪を割っていた。
すごい力だ。 1打ちで、硬い木が紙のように裂けて飛んでいた。
アニーの足が震え出した。 男の子にもう一枚硬貨を渡して帰すと、アニーは唾を飲み込み、しゃがれ声で呼んだ。
「サンディ」
男は斧を置き、腰を伸ばしてゆっくり振り返った。
アニーは無言で立ち尽くした。 紅潮した頬はあせ、口の端がだらりと下がった。
ちがう。 全然ちがう……!
《サンディ》は、低く気持ちのいい声で言った。
「何の用だい、お嬢さん?」
びっくりして、アニーは反射的に口走った。
「どうして女とわかったの?」
《サンディ》は軽く首をかしげ、頬をゆるめた。 すると、別人のように魅力的な表情に変わった。
「かまをかけてみたんだよ。 だめだよ、そんなにすぐ白状しちゃ」
ほっとしたような妙な気持ちで、アニーは《サンディ》に近づいた。 初対面だが、この若い男は信用できると本能的に感じた。
「あのね、サンディという人を探してるの。 D・A・サンダースというのが正式な名前。 あなたの噂を聞いて、その人だと思って……」
胸が一杯になって、アニーは口を閉じた。 《サンディ》は賢そうな目でアニーを眺めた。
「兄貴かい?」
「いいえ」
「ふうん」
《サンディ》の顔を、かすかな影がかすめた。
「君みたいな美人に探し回ってもらえるとは、運のいい男だ」
「すごく運が悪いのよ」
アニーは溜め息をついて、薪を払った後の切り株に座り込んだ。
「私のサンディは、故郷からの手紙によると養子だったの。 大変な苦労をしているらしいわ。 私が鈍感で、察してあげられなかったから」
《サンディ》は、アニーの前に突っ立って、そっけない口調で尋ねた。
「そんな星の元に生まれた男、いいかげんに忘れようとは思わないのかい?」
他の人間にそう言われたら、怒っただろう。 しかし、不思議にこの男には腹が立たなかった。 膝に頬杖をついて、アニーは静かに答えた。
「運は変わるわ。 私はそう信じてる。 でもサンディが逃げ回っているかぎり、多分道は開けないと思うの」
「その男、罪になることでもやったのか?」
「いいえ」
アニーは、なんとなくぼんやりした口調になった。
「悪いことのできる人じゃないのよ。 できたらこんな目に遭わなかったと思うわ」
唇を噛んで、《サンディ》は横を向いた。 アニーは決心をつけて立ち上がった。
「急に来て邪魔してごめんなさい。 さてと……私、これで帰るわ」
「気をつけて」
そこで《サンディ》はにやっと笑った。
「男で通すんだよ。 忘れないで」
気をつけて、普段以上に大股でぱっぱっと歩いていたアニーは、道の端を人目をはばかって歩いている姿に気付いた。
女の人だわ――アニーは眼をしばたたいた。 水商売と賄いのおばちゃんしかいないというこの工事現場を、そのどちらでもない女が歩いている。 厚いヴェールを垂らし、地味な装いだが、コートは最上級のカシミアだし、身のこなしは優雅そのものだ。 これは面白くないことになるのではないかと、アニーは不安になった。それで、そっと後をつけていくことにした。
婦人は、非常に用心深かった。 人影が見えると、さっと家の陰に身を潜める。 私とちがって用心深いな、と、アニーは内心で苦笑した。
酒場を裏窓から覗き、食べ物屋を長い時間かけて調べた後で、婦人は一段と用心しながら宿舎のほうへ向かった。
そして、これも正面から入ることはせず、しなやかな足取りで裏に回った。 彼女が小屋と小屋の間の狭い通路を通り抜けて、粗末な一軒に黙って入り込み、荷物を調べ始めたので、少し遅れて一緒に覗きまわっていたアニーは唖然となった。
そういえば、昨日が給料日だったと駅長が言っていた。 もしかしたらこの一見レディー風の女、空き巣狙いなのかも――アニーが腕まくりして窓から乗り込もうとした、まさにその時、だしぬけにドアが開いた。
婦人は中腰のまま、凍りついたようになった。 入ってきた男も立ち止まった。 それは、両腕に薪をかかえた《サンディ》だった。
「そこで何してる」
と、《サンディ》は凄みのある声で怒鳴った。
婦人はゆっくり体勢を立て直し、無言のままヴェールを取った。
《サンディ》の手から薪が落ち、にぶい音を立てて床に転がった。 かすかな女の声が、アニーの耳に届いた。
「アレックス……」
まるで電気に撃たれたように放心状態から醒めて、《サンディ》は背後のドアを閉め切った。
「どうして……どうしてここにいることがわかった……」
「アレックス」
婦人は、いくらかしっかりしてきた声で、再び呼んだ。
「来てはいけなかったのかもしれない。 でも、来ずにはいられなかったの。 アレックス、後一週間で、あなたは死人にされてしまうのよ」
アニーの目が飛び出しそうになった。 死人って……殺されるのか!?
《サンディ》は、急に横顔を向けて、艶のない声で言った。
「もうそんなになるか」
「ええ、もうじき7年になるの。 あなたが家を出た日を、私はっきりと覚えているわ」
《サンディ》は溜め息をつき、窓に背を向けて立っているきゃしゃな姿に焦点を合わせた。
「クラレンスか?」
婦人はゆっくりうなずいた。
「あなたは約束したはずよ。 2年か3年したらきっと帰るって」
《サンディ》はさっと顔をそむけた。 婦人は一歩前に踏み出した。
「帰ってきて、アレックス! 失踪人としてすべての権利を失うなんて、耐えられないわ!」
「戻って俺に何がある? 友達はいないし、家族は俺が帰ったら喜ぶどころか嘆き悲しむだろう。 追っ払ってせいせいしていたんだからな」
「クラレンスがいるわ! それに、私だって!」
「君が?」
拳を握り締めて、《サンディ》は豹のように激しく向き直った。
「そうだ、まだ言っていなかったな。 結婚おめでとう」
婦人は、ゆっくりと腕を下ろした。
「ありがとうと言うべきなのかしら」
「そりゃそうだろうな」
婦人の背中がぎゅっと引きつるのを、窓の陰で動くに動けないでいたアニーは、動物的感覚で悟った。
「結婚しても、友達は友達よ。 そうでしょう?」
《サンディ》の表情がやわらいだ。 ゆっくり婦人に歩み寄ると、彼はそっと手のひらで彼女の頬に触れた。
「友達だ。 最高の友達だよ。 今日だって、忙しい身なのにこんな国境まではるばる来てくれて…… やっと俺を許す気になってくれたんだな」
「許す?」
いぶかしそうに、婦人はささやいた。
「何のこと?」
《サンディ》の顔が、目に見えて悲しげになった。
「何って……手紙に返事をくれなかったろう?」
ヒュッという、息を吸い込む音がした。 ついで、小さな手が《サンディ》の手首を激しく掴んだ。
「手紙? どんな手紙? いつ私に?」
驚きのあまり、《サンディ》の頬が引きつった。
「君にあやまる手紙さ、もちろん! 俺のせいであんな思いをさせて、アメリカに追い返してしまったんだ。 俺がどんなにたまらない気持ちだったか、君にもわかるはずだ。
すぐアメリカに帰されたことは、4日間知らなかった。 毎日あの屋敷に通って、門前払い食わされても居座っていた。 しまいに君の妹、レティーさんか、彼女が見るに見かねて出てきてくれて、それで君がもういないことを知ったんだ。
彼女、泣いてたよ。 自分に一言も言わずに君を家から出したと知って、お父さんと喧嘩したらしい。 初めて逆らったと言っていた。 よほど君が好きだったんだな」
思い出して、《サンディ》は荒っぽく目をこすった。
「すぐアメリカに帰った。 君のお母さんにとことん罵られたよ。 家に近づいたら警察を呼ぶと言われて、手紙を書いた。 6通書いて、あきらめたんだ」
婦人はしばらく動かなかった。 動けないのだとアニーは察した。
やがて力なく《サンディ》の手首を放して、婦人は低い声でつぶやいた。
「母だわ。 母が全部どこかへやってしまったんだわ。 そんなに私が憎いのかしら」
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