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48 サンディとは


 男の子がアニーを案内したのは、屋根が斜めにつけてある小屋の裏手だった。 そこで、大きな帽子を頭に載せた大男が、2人に背を見せて、薪を割っていた。
  すごい力だ。 1打ちで、硬い木が紙のように裂けて飛んでいた。
  アニーの足が震え出した。 男の子にもう一枚硬貨を渡して帰すと、アニーは唾を飲み込み、しゃがれ声で呼んだ。
「サンディ」
  男は斧を置き、腰を伸ばしてゆっくり振り返った。
  アニーは無言で立ち尽くした。 紅潮した頬はあせ、口の端がだらりと下がった。
  ちがう。 全然ちがう……!
  《サンディ》は、低く気持ちのいい声で言った。
「何の用だい、お嬢さん?」
  びっくりして、アニーは反射的に口走った。
「どうして女とわかったの?」
  《サンディ》は軽く首をかしげ、頬をゆるめた。 すると、別人のように魅力的な表情に変わった。
「かまをかけてみたんだよ。 だめだよ、そんなにすぐ白状しちゃ」
  ほっとしたような妙な気持ちで、アニーは《サンディ》に近づいた。 初対面だが、この若い男は信用できると本能的に感じた。
「あのね、サンディという人を探してるの。 D・A・サンダースというのが正式な名前。 あなたの噂を聞いて、その人だと思って……」
  胸が一杯になって、アニーは口を閉じた。 《サンディ》は賢そうな目でアニーを眺めた。
「兄貴かい?」
「いいえ」
「ふうん」
  《サンディ》の顔を、かすかな影がかすめた。
「君みたいな美人に探し回ってもらえるとは、運のいい男だ」
「すごく運が悪いのよ」
  アニーは溜め息をついて、薪を払った後の切り株に座り込んだ。
「私のサンディは、故郷からの手紙によると養子だったの。 大変な苦労をしているらしいわ。 私が鈍感で、察してあげられなかったから」
  《サンディ》は、アニーの前に突っ立って、そっけない口調で尋ねた。
「そんな星の元に生まれた男、いいかげんに忘れようとは思わないのかい?」
  他の人間にそう言われたら、怒っただろう。 しかし、不思議にこの男には腹が立たなかった。 膝に頬杖をついて、アニーは静かに答えた。
「運は変わるわ。 私はそう信じてる。 でもサンディが逃げ回っているかぎり、多分道は開けないと思うの」
「その男、罪になることでもやったのか?」
「いいえ」
  アニーは、なんとなくぼんやりした口調になった。
「悪いことのできる人じゃないのよ。 できたらこんな目に遭わなかったと思うわ」
  唇を噛んで、《サンディ》は横を向いた。 アニーは決心をつけて立ち上がった。
「急に来て邪魔してごめんなさい。 さてと……私、これで帰るわ」
「気をつけて」
  そこで《サンディ》はにやっと笑った。
「男で通すんだよ。 忘れないで」
 
  気をつけて、普段以上に大股でぱっぱっと歩いていたアニーは、道の端を人目をはばかって歩いている姿に気付いた。
  女の人だわ――アニーは眼をしばたたいた。 水商売と賄いのおばちゃんしかいないというこの工事現場を、そのどちらでもない女が歩いている。 厚いヴェールを垂らし、地味な装いだが、コートは最上級のカシミアだし、身のこなしは優雅そのものだ。 これは面白くないことになるのではないかと、アニーは不安になった。それで、そっと後をつけていくことにした。
  婦人は、非常に用心深かった。 人影が見えると、さっと家の陰に身を潜める。 私とちがって用心深いな、と、アニーは内心で苦笑した。
  酒場を裏窓から覗き、食べ物屋を長い時間かけて調べた後で、婦人は一段と用心しながら宿舎のほうへ向かった。
  そして、これも正面から入ることはせず、しなやかな足取りで裏に回った。 彼女が小屋と小屋の間の狭い通路を通り抜けて、粗末な一軒に黙って入り込み、荷物を調べ始めたので、少し遅れて一緒に覗きまわっていたアニーは唖然となった。
  そういえば、昨日が給料日だったと駅長が言っていた。 もしかしたらこの一見レディー風の女、空き巣狙いなのかも――アニーが腕まくりして窓から乗り込もうとした、まさにその時、だしぬけにドアが開いた。
  婦人は中腰のまま、凍りついたようになった。 入ってきた男も立ち止まった。 それは、両腕に薪をかかえた《サンディ》だった。
「そこで何してる」
  と、《サンディ》は凄みのある声で怒鳴った。
  婦人はゆっくり体勢を立て直し、無言のままヴェールを取った。
  《サンディ》の手から薪が落ち、にぶい音を立てて床に転がった。 かすかな女の声が、アニーの耳に届いた。
「アレックス……」
  まるで電気に撃たれたように放心状態から醒めて、《サンディ》は背後のドアを閉め切った。
「どうして……どうしてここにいることがわかった……」
「アレックス」
  婦人は、いくらかしっかりしてきた声で、再び呼んだ。
「来てはいけなかったのかもしれない。 でも、来ずにはいられなかったの。 アレックス、後一週間で、あなたは死人にされてしまうのよ」
  アニーの目が飛び出しそうになった。 死人って……殺されるのか!?
  《サンディ》は、急に横顔を向けて、艶のない声で言った。
「もうそんなになるか」
「ええ、もうじき7年になるの。 あなたが家を出た日を、私はっきりと覚えているわ」
  《サンディ》は溜め息をつき、窓に背を向けて立っているきゃしゃな姿に焦点を合わせた。
「クラレンスか?」
  婦人はゆっくりうなずいた。
「あなたは約束したはずよ。 2年か3年したらきっと帰るって」
  《サンディ》はさっと顔をそむけた。 婦人は一歩前に踏み出した。
「帰ってきて、アレックス! 失踪人としてすべての権利を失うなんて、耐えられないわ!」
「戻って俺に何がある? 友達はいないし、家族は俺が帰ったら喜ぶどころか嘆き悲しむだろう。 追っ払ってせいせいしていたんだからな」
「クラレンスがいるわ! それに、私だって!」
「君が?」
  拳を握り締めて、《サンディ》は豹のように激しく向き直った。
「そうだ、まだ言っていなかったな。 結婚おめでとう」
  婦人は、ゆっくりと腕を下ろした。
「ありがとうと言うべきなのかしら」
「そりゃそうだろうな」
  婦人の背中がぎゅっと引きつるのを、窓の陰で動くに動けないでいたアニーは、動物的感覚で悟った。
「結婚しても、友達は友達よ。 そうでしょう?」
  《サンディ》の表情がやわらいだ。 ゆっくり婦人に歩み寄ると、彼はそっと手のひらで彼女の頬に触れた。
「友達だ。 最高の友達だよ。 今日だって、忙しい身なのにこんな国境まではるばる来てくれて…… やっと俺を許す気になってくれたんだな」
「許す?」
  いぶかしそうに、婦人はささやいた。
「何のこと?」
  《サンディ》の顔が、目に見えて悲しげになった。
「何って……手紙に返事をくれなかったろう?」
  ヒュッという、息を吸い込む音がした。 ついで、小さな手が《サンディ》の手首を激しく掴んだ。
「手紙? どんな手紙? いつ私に?」
  驚きのあまり、《サンディ》の頬が引きつった。
「君にあやまる手紙さ、もちろん! 俺のせいであんな思いをさせて、アメリカに追い返してしまったんだ。 俺がどんなにたまらない気持ちだったか、君にもわかるはずだ。
  すぐアメリカに帰されたことは、4日間知らなかった。 毎日あの屋敷に通って、門前払い食わされても居座っていた。 しまいに君の妹、レティーさんか、彼女が見るに見かねて出てきてくれて、それで君がもういないことを知ったんだ。
  彼女、泣いてたよ。 自分に一言も言わずに君を家から出したと知って、お父さんと喧嘩したらしい。 初めて逆らったと言っていた。 よほど君が好きだったんだな」
  思い出して、《サンディ》は荒っぽく目をこすった。
「すぐアメリカに帰った。 君のお母さんにとことん罵られたよ。 家に近づいたら警察を呼ぶと言われて、手紙を書いた。 6通書いて、あきらめたんだ」
  婦人はしばらく動かなかった。 動けないのだとアニーは察した。
  やがて力なく《サンディ》の手首を放して、婦人は低い声でつぶやいた。
「母だわ。 母が全部どこかへやってしまったんだわ。 そんなに私が憎いのかしら」

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