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45 心を癒す言葉


 遺体を引き取りに来たマイクの父は、ジェーンを葬儀に招待した。 マイクに似た妹が婚家から帰ってきていて、眼を真っ赤に泣きはらしていた。
  緑の墓地にマイクが丁重に葬られた後、ジェーンはステュワート氏に呼ばれて、しっかりとした煉瓦造りの家に行った。 そこで彼女は、マイクが遺言を残していたことを知らされた。
「マイクは最初から死期を悟っていたようです。 最後に会ったとき、わしに手紙だと言って、これを渡しました。 死ぬ前にあなたという人に会えて幸せだったと書いてあります。 マイクはあなたを愛していたのです」
  ジェーンは言葉もなくステュワート氏を見つめた。
  遺言書の内容は、マイクが母から受け継いだ財産をすべてジェーンに譲るというものだった。 ジェーンはびっくりして、一度は辞退した。
「私はそんなつもりでお世話したのではありません」
というジェーンに、ステュワート氏は静かに答えた。
「あなたがそんな人なら息子は遺産など残さなかったでしょう。 マイクはあなたを自分の妻だと思いたかったのです。 息子の気持ちを、どうかくんでやってください」
  ステュワート氏は裕福で、マイクの妹も異議はなさそうだった。 ジェーンは固辞しきれずに、6千ドルあまりの遺産を受け取った。
  これは、彼女にとっては大金だった。 自分よりロニーのために、ジェーンはマイクに感謝した。 これで自分に万一のことがあってもロニーは何とか暮らしていける。 孤児院に行かなくてもすむのだ。 ジェーンは金を信託にして、1セントも減らさないように、療養所での勤務を再開した。

  何日か過ぎて、ジェーンが患者に肩を貸して前庭を歩いていたとき、にぎやかな音を立てて、見覚えのある車が止まった。 そして中から、アニーが文字通り転がり出てきた。 早く降りようとあせったあまり、車が止まりきる前に飛び出したのだ。
「ジェーン! ジェーン・ドリューさん!」
  ジェーンは、喜びと困惑の入り混じった表情で、アニーを迎えた。
「デュヴァル先生……」
「よかったわ。 覚えててくれたのね」
  安心すると、アニーは少々皮肉になった。
「私の周りは黙って消える人ばっかりだわ。 そんなに私が煙たいのかしら」
  ジェーンは、すまなそうに微笑み返すのがやっとだった。
 
  少し休みを貰って、ジェーンはアニーと庭を歩いた。 アニーはまず、突然のミッキーの失踪と戦争志願について知りたがった。
  「話しにくいことなら言わなくていいのよ。 でも、もし教えてもらえるなら」
  ジェーンは青い顔をうつむけて、ぽつんと言った。
「私のせいです」
  アニーは動かず、次の言葉を待った。 額を手で押さえて、ジェーンは声を絞り出した。
「誰かに言いたかった。 デュヴァル先生が一番いいかもしれない。 私、脅されたんです」
  アニーの眼が次第に細く、鋭く変わった。
「待って。 ちょっと待ってね。 それって、もしかして、セアラ?」
「名前は知りません。 でもたしか、ナディア・オーウェル夫人のお姉さんとか」
「そうよ!」
  アニーは躍り上がった。 怒りで言葉が口の中に貼りついた。
「あの……あの……あのロクデナシがすべての原因なのよ! ミッキーが家出したのだって!」
「そうなんですか?」
  ジェーンの表情が固まった。 口がもつれたアニーは、頭を大きくぶんぶんと振った。
「そうなの! あの女、ミッキーの父親と結婚してるのよ。 それなのに義理の息子に夢中になって、夜中に大騒ぎしたあげく、濡れ衣きせて追い出しちゃったの!」
  だからミッキーは実家の話をしなかったんだ、とジェーンはようやく悟った。 アニーはジェーンの手を取り、強く振った。
「嘘を言いふらすのがあの女の特技なの。 いろんな人を傷つけてるわ。 だからきっとあなたにも、ひどいことを言ったのね」
「私のことをとことん調べるって言ってました」
  ジェーンは眼をつぶった。
「私、田舎から出てきて子守りをしてたんです。 でもいろいろあってそこを出て、その後、酒場に勤めたり、ある男の人の世話になったり、ミッキーには知られたくない過去があって……」
  蒸気機関車のように、アニーは荒い息を吐いた。
「人の不幸をくいものにしてる人間が、この世には多いってことね。 悪く言われるのが犠牲者の方だなんて、許せない」
  アニーの指に力がこもった。
「ミッキーは何を血迷ったかあんな人気商売に入っちゃって、あなたが彼の評判を気にしたのはよくわかる。 やりきれないわね。 ミッキーもミッキーよ。 客席からジトッと見つめてるセアラを見たら、何かありそうだぐらい気がつけばいいのに、ストレートに失恋と思い込むなんて」
「私、前にも一度逃げてるから」
  いらついてきて、アニーは勢いよく耳を掻いた。
「こうなったら、ミッキーが無事に戻ることを信じましょう。 やり直せるわ、きっと。 3度目の正直っていうじゃない」

  15分の休み時間はあっという間に経った。
「また来るわね」
  と言い残して、アニーは車中の人となった。
  手を振りながら、ジェーンはたぶんテンプル氏が自分の居所をアニーに言ったのだと思い、話してくれてよかったと思った。
  アニーのおかげでずいぶん肩の荷が軽くなった。 それに、寂しさが驚くほどなくなった。
  アニーの明るい声を聞いて、ジェーンは初めて、自分がどんなに孤独だったか悟った。 人見知りする性格なので、昔から一人で入ることが多かったが、そんなものだとあきらめていた。 しかしアニーが前に現れてから、ジェーンは『仲間』の素晴らしさを知り、話し相手を必要とするようになっていた。 またすぐ来てくれればいい、と思いながら、ジェーンは新しい担当患者の元へ帰っていった。

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