表紙へ
page 23

34 プロポーズ


 街灯が点々と灯った街を、ミッキーはコートをなびかせて走り抜けた。 途中で気がついてハンカチで大まかに顔はぬぐったが、後は衣装のままだ。 どうしても彼女を捕まえなければ。 まだ『ミス』でいるうちに!
  6丁目の角で、金色の髪がきらっと光ってミッキーの眼を射た。 彼の心臓は止まりそうになった。 また人違いだったら…足がとたんにすくんでしまって、ミッキーは前にいけなくなった。
  コートの胸のあたりをぐっと掴んで、ミッキーはぎこちなく呼びかけた。
「ジェーン!」
  人影は、ぴたっと動きを止めた。
  やがて彼女は上半身を斜めに動かして少しだけ振り向いた。
  その横顔を見て、ミッキーは一瞬空を仰いで眼を閉じた。 それから、ゆっくり2歩,3歩と近づいた。
「ジェーン、ジェーン、僕だよ。 見分けられないのかい? ほら、ニューヨークの船員だったミッキーだよ」
  ジェーン・ドリューはじわじわと振り返った。 ミッキーを見つめるすみれ色の眼が、やがてぼんやりとなり、涙でうるんだ。
「ミッキー……」
  たちまちミッキーの体中の血が奔流した。 走り出したと思ったときには、もうジェーンは彼の腕の中だった。 歓喜のあまり、わけのわからないことをつぶやきながら、ミッキーは何度も何度もジェーンに頬ずりした。
「ね、髭は剃った。 髪もちゃんとした。 もう熊男じゃないよ。 これなら一緒に歩いて格好悪いことないだろう?」
  その言葉を聞いたとたんに涙が吹きあげて来て、ジェーンは泣きじゃくりはじめた。
  ミッキーはあわてて半分抱き上げてしまっていた彼女を降ろし、顔を両手ではさんだ。
「泣かないで。 ずっと探してたんだ。 もう9ヶ月も…… やっと見つけた!」
「ミッキー」
  すすり泣きが答えた。
「私にそんな値打ちないわ」
「あるさ」
  静かだがきっぱりとした言葉だった。
「私、あなたを置いて逃げたのよ」
「君は自由だった。 僕たち結婚してたわけじゃないし、婚約もしてなかった。 したいと思ってたが、一応許可を……」
  そこでミッキーは、はっと唇を噛んだ。 ジェーンは目を伏せて黙っていた。
  ふたたびジェーンを抱き寄せながら、ミッキーは子供のように繰り返した。
「つかまえた。 もう離さない。 しっかり捕まえちゃったからね」
  そして、いきなり歩道にひざまずいた。 ジェーンはあっけに取られた。
  まるでオペレッタからそのまま抜け出した登場人物のように、しかし眼はまぎれもなく真剣に、ミッキーはゆっくりと一言一言区切って言った。
「ジェーン・ドリュー。 僕の妻になってください」
  手を取られたまま、ジェーンは震えた。 ミッキーは必死でせがんだ。
「うなずいて。 うなずくだけでいいから」
  遂にジェーンは、顔をくしゃくしゃにして小さく首を縦に振った。

  リイス&ゴードン劇団の宿泊所に指定されたフェニックス・ホテルのフロント係は、悠々と入ってきたミッキー・ステュワートを見て眼を見張った。 暗い道では目立たなかったがドーランがまだらになって頬の端にこびりつき、アイシャドウが目の周りに大きく広がっている。 ロビーの明かりで初めて気付いたジェーンは、笑いが止まらなくなった。
「ミッキー……!」
  ミッキーは平然とフロントにうなずいてみせて、ジェインに微笑みかけた。
「やっと君を見つけたんだ。 化粧落としなんかしてられないよ」
  そう言いながら鍵を受け取ると、ミッキーはジェーンの手を取って、鉄格子のついたエレベーターに乗った。
  部屋に入ったとたん、ミッキーはジェーンを固く抱きしめて、しばらく身じろぎもしなかった。 それから唇を重ねた。 宝物のように、優しく。


 部屋の戸を開けて中に入り、灯りをつけた直後にアニーがしたのは、靴を思い切り派手に投げ飛ばすことだった。
 何て夜なんだ! ミッキー・ステュワートは確かにロビンだったが、久しぶりに会ったのに、まともな挨拶もしないで飛び出していった。 テンプル氏は頭痛を起こしたし、謎めいたジェーン・ドリューはさっさと一人で帰ってしまった。 サンディときたら、初めから行方不明になって、ジョーイといくら探しても影さえ見当たらない始末だ。
「本当に、いやになっちゃう!」
  大声で叫ぶと、アニーはドレスのまま、どしんとベッドに仰向けになった。
  そのとき、動物的本能が、部屋にいるのは彼女一人だけではないと教えてくれた。 アニーは体を引きしめて、そろそろと起き上がった。
  大きな姿が、亡霊のように窓を横切った。 アニーはただびっくりして 囁くような声になってしまった。
「サンディ! あなたずっとここにいたの?」
  サンディはうなずいた。 彼の声は濁って、かすかに震えていた。
「アニー…… すまない」
「いったいどうしたの?」
  その声には、責める調子よりも心から不思議がる響きがあった。 よろめくようにアニーの傍に座り込むと、サンディはつぶやいた。
「あそこで会うとは思わなくて……」
  ようやくアニーは思い当たった。
「ああ、ロビンのこと」
  少し間を置いて、サンディはうなずいた。
  アニーはベッドの上で向きを変えて、彼の手を握った。
「彼は外へすっ飛んでったわよ。 ほら、いっしょに来たナースの人いたでしょう? あの子を追いかけて」
  ナース? とオウム返しにして、サンディは眉を寄せた。 顔を思い出そうとしているらしい。
「物静かな、金髪の人?」
「そう。 なんか知り合いみたいだった」
「それ見て、どう思った?」
「どうって?」
  自分もうっかりオウム返しをして、アニーは顔をしかめた。
「つまり、前は彼と仲が良かったんだろう?」
「仲がいいって、まるっきりそういう意味じゃなくて」
  アニーはそろそろじれ始めた。
「ロビンは友達。 百年たっても友達」
「婚約してたのに?」
  はっとして、アニーはサンディの眼を見つめた。
「ロビンが話したの?」
  サンディはかすかにうなずいた。 とたんにアニーはベッドに座りなおした。
「よっぽど親しかったのね。 ね、どういう……」
「愛してる」
  アニーは我が耳を疑った。
「え…?」
「君を愛してる」
  かすれ声でそう訴えかけるなり、サンディは握っていたアニーの手を持ち上げて、唇に押し当てた。

表紙 目次前頁 次頁
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送