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26 入団テスト




  急ぎ足で来た道を引き返しながら、ルイーズは小声で言った。
「ありがとう。 調子を合わせてくれて」
  ミッキーもひそひそ声になった。
「彼に付きまとわれているんですか?」
  ルイーズはためらった。
「付きまとわれているというのか…… 劇団をひいきにしてくれるので、そう冷たくできないんです」
  並んで歩きながら、二人は自己紹介し合った。 少女はルイーズ・マレイ。 女優の卵だということだった。 そう言われて見直すと、確かに彼女は珍しいほど魅力的だった。
「私に似た人を探していらっしゃるの?」
「ええ。 ただし、目はすみれ色で、あなたより丸顔なんです」
「写真をお持ち?」
  ミッキーは首を振った。 ひどく悲しい気分だった。 ルイーズも考え込んだが、やがて顔が明るくなった。
「そうだ! 似顔絵を描いてもらったら?」
「そしてニューヨーク中に貼り出すんですか? まるで指名手配の犯人みたいですね」
  そこで天の啓示がひらめいた。 まったくそうとしか思えない考えが浮かんだ。 顔! そうだ、ジェーンは髭面が嫌いだった。 この顔を変えたら、もしかしたら……!
  ミッキーはルイーズに向き直り、息せききって尋ねた。
「あなた、劇団にいるんでしょう?」
「ええ、リイス&ゴードン劇団に」
  それは、しゃれたコメディーを得意とする劇団だった。 サニー・リイスがボードヴィルの出身なので歌や踊りに熱を入れていて、オペレッタの上演でも知られている。 中規模だが、一流の演劇集団だった。
  ミッキーは腹に力を入れて、娘に言った。
「入団テスト受けたいんですが、受け付けてもらえるでしょうか」
  ルイーズは、あっけに取られて、まじまじと彼を見つめた。 ミッキーは父の探索を逃れるために、髪はわざと手入れせず、顔一面に頬髯や顎鬚などやたらに生やしまくっていたのだ。 
  これでは熊か、よくて悪漢の役ぐらいしかできない、と彼女が考えたのは明らかだった。 それでもルイーズは大きな若者に好意を抱いたので、気軽にうなずいた。
「俳優志望? それなら団長のリイスさんに紹介してあげましょう。 実力次第なの。 団長は公平な人だから」
「ありがとう!」


  4日後がテストの日だった。 2人は、劇団の練習場がある街角で待ち合わせた。
  最初ルイーズは、彼が誰かわからなかった。 金髪を短く切ってきちんとときつけ、形のいい顎を見せた光り輝く美男を、4日前の熊男と同一人物と見分けるのは、ルイーズでなくても至難の業だった。
「髭は?」
と、ルイーズは困ったように尋ねた。 ミッキーは少し照れて微笑した。
「やっぱり剃らないと、テストを受ける前に門前払いされそうだから」
  目を細めて、ルイーズは彼の顔をしげしげと眺め、それからいきなり10歩ほど遠ざかってじっと見つめた。 ミッキーは驚いた。
「まるで画家がモデルを見てるみたいだね」
「こうすると少し見えるようになるの」
  ルイーズは説明した。
「視力があまりよくなくて、ほんとは眼鏡かけないと歩くのが怖いぐらいなんだけど、それじゃ商売にならないから。 あなたの髭と同じね」
  ふっとその表情が変化した。
「あのね、こんなこと言うと、知り合うきっかけを作ろうとしている男の子みたいだけど、あなたの顔、見覚えがある気がするの。 どこかでお会いしなかった?」
  ミッキーは首をかしげた。
「さあ…… あなたぐらい素敵な人に会ってたら、忘れるはずはないんだけど」
  ルイーズは思わず笑った。
「それも立派な決り文句ね」
「ちがうよ」
  ミッキーは真面目に反論した。
「君は忘れられない顔立ちをしてる。 ただの平凡な美人じゃないんだ。 特に眼がすごい!」
「眼ね……」
  まばたきして、ルイーズは考えこんだ。
「眼鏡を外して鏡を見ると、ほとんど何も見えないの。 全部がぼうっとかすんでいて」
「水の中で目をあけたときみたいだね」
  水の中、という言葉で、ルイーズはある情景を不意に頭に浮かべた。 とたんに表情がとぎすまされた。
「ねえ、もしかしたら」
「え?」
「あなた、オーウェルさんの家にいたことがある?」
  ミッキーの背筋がぞくっとした。 水、オーウェル…… その連想で、彼もまた思い出した。
「あ…… もしかしたら、君はショーンをプールに落とした人?」
  2人は同時に顔を見合わせた。 そして、同時に早口で話し出した。
「お願いだから僕の名は……」
「もしかしてあなたは……」
  2人はぴたっと口をつぐんだ。 それから、ミッキーが用心しながら話し始めた。
「実は、僕は家出中なんだ。 もう2年近くになる。 頼むから、オーウェルの連中には僕に会ったことは言わないでくれ」
「家出?」
  ルイーズはあっけに取られた。
「あなたはみんなに好かれる幸せな奴だってアレックスが言っていたわ。 それなのに家出なんて」
「仕方なかったんだよ」
  ルイーズはそれ以上訊かなかった。 無理に秘密を聞き出そうとする性格ではないから。


   珍しく、控えめなルイーズがぜひにと言うので、テストを承知したものの、リイス団長は軽い気持ちだった。 素人に毛が生えた程度の役者志望が、毎日のように入団テストを申込んでくる。 望みがあるのはそのうちの百人に一人、ひょっとすると2百人に一人もいなかった。
  だが、その彼が、ミッキーを見たとたんに言葉を失った。 ミッキー、つまりマイケル・ロビン・テンプルは、単に美しいだけでなく、全身から輝き出る特殊な雰囲気があった。 いわゆる『華』があるのだ。 こればかりはどんなに努力しても身につくものではない。 これなら広告塔として舞台に置いておくだけでいいかもしれない、とリイスは感心した。
  テストが開始されると、団長の驚きは一段と大きくなった。 ミッキーは歌がうまかったのだ。 よく伸びるバリトンの声で、多少荒削りではあるが、少し磨けば相当なものになりそうだった。
  リイス団長は即断した。
「雇おう。 ただし」
「はい」
「女で問題を起こさないように」
「その点は百%大丈夫です」
  ミッキーは静かに答えた。



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