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22 拾った娘



 港にはいろんなものが流れ着く。 空き缶、溺れた動物の死体、綱の切れ端に、コルクの抜けた酒瓶。 古着は始終引っかかっているので、誰も気にとめなかった。
  がっしりと太い腕をさすりながら歩くミッキーも同じだった。 肩幅がゆったりと広く、もみあげから首筋の半ばまで髭で埋まり、もじゃもじゃの金髪は強い日光のせいて白く変色しかかっている。 典型的な北欧型の大男で、いかにもヴァイキングの子孫という雰囲気だった。
  はるかな海原を眺め渡すのが仕事のミッキーは目がよくきいた。 だから最初は何気なく通り過ぎた古着が、なんとなく異様なことに思い当たって、肩越しに振り向いた。
  服だけが浮いてるんじゃない。 手が出てる……! たちまちミッキーは上着を脱ぎ捨て、きれいな弧を描いて黒い水に飛び込んだ。
 
 娘が意識を取り戻したとき、ミッキーは三本足の椅子にちょこんと腰をかけて、やさしく覗きこんでいた。 その髭だらけの顔が眼に入ったとたん、娘はぱっと毛布を持ち上げ、深く顔を突っ込んでしまった。
  ミッキーはがっくりした。
「こわがるなよ。 食っちまうわけじゃなし」
  声を聞いて、娘は毛布の下から眼だけ出して、まばたきもせずにじっとミッキーを見つめた。
「あなた……だれ?」
  きれいな声だ、とミッキーは思った。 いくらかかすれた、不思議な魅力をもつ声。 音楽好きのミッキーの耳にはたいそう快かった。
「オレはミッキー。 君は?」
  娘は、少しためらってから低く答えた。
「ジェーン」
「ジェーンか。 よろしく」
  気さくに言いながら、ミッキーは下宿のおばさんが用意してくれたスープを差し出した。
「これ飲んでごらん。 体があったまるよ」
  ジェーンは、スープを受け取ったものの、幾分困った様子で持ったままでいた。
「あの…… あなたが助けてくれたの?」
「そうだよ。 君が港に浮いてたから」
  ジェーンは下を向いた。
「ありがとう」
「あまりうれしくなさそうだね」
「そんなこと、ないけど」
  ジェーンの声が一段と低くなった。
「迷惑かけちゃって」
「気にするなよ」
  ミッキーはことさら大声で言った。
「それより家族に知らせなきゃ。 君の家はどこ?」
  少しためらった後、ジェーンはぽつりと言った。
「家はないの。 私、孤児なの」
  はっとして、ミッキーは彼女を見つめた。
  そのとき、胸に何かが忍びこんだ。 無意識のうちに、ミッキーは自分でも思わなかったことを口走った。
「へえ、オレとおんなじだ」
  ジェーンの視線が、ミッキーの髭面に釘付けとなった。
「あなたも一人?」
「うん」
  自分で自分の言ったことに驚きながら、ミッキーは良心のうずきを押し殺して、何くわぬ顔で続けた。
「天涯孤独さ。 船乗りをしてるんだ」
  ジェーンは、シャツがはち切れそうなミッキーの太い腕に見とれていた。
「捕鯨船の?」
「いいや、貨物船だ。 ニューヨーク・サザンプトン航路の定期便さ」
「そう」
  ジェーンは次第に疲れてきた様子で、枕にふっとよりかかった。 ミッキーは、こぼれそうになったスープをあわてて取り戻した。
「腹へらないのか?」
「ええ}
「でも何か腹に入れないと。 かなり痩せてるよ、君は」
  視線を真っ白なシーツに落として、ジェーンは遠慮がちに頼んだ。
「あの、ミルクいただけるかしら。 少しでいいんだけど」
「いいとも」
  身軽に、ミッキーは椅子から立ち上がった。

  下宿のおばさんが分けてくれた牛乳を飲んだ後、ジェーンは眼を開いていられなくなってきた。
「ちょっと寝かせてもらっていい?」
「どうぞ。 寝心地悪くないか? オレのシャツごわごわだろうけど」
  そこで初めて、ジェーンは服を脱がされて男物のシャツ一枚しか着ていない自分に気がついた。
  火のように真っ赤になって、ジェーンは小声で尋ねた。
「あなたが、つまり、着せてくれたの?」
  ミッキーも柄になく顔を赤らめた。
「いや。 下宿の叔母さんに頼んだ」
  安心の吐息とともに、ジェーンは眼を閉じた。

  次に目覚めたとき、もう窓の外は真っ暗になっていた。 部屋は静かで、誰もいない。 自然の欲求を感じたジェーンは、そっと起き上がって、きしむ階段を下りた。
  通用口で、ペットの餌売りと話をしていた中年婦人が振り返った。
「ああ、あんた目が覚めた」
「ええ、ありがとうございました」
  ジェーンがいくらか固くなって礼を言うと、婦人は察したようで、耳に口を寄せて教えてくれた。
「お手洗いは裏庭よ」
  ジェーンはほっとして、素早く廊下を歩いていった。 背後で大きな声が聞こえた。
「うちの犬は白に黒ぶちのやつよ。 大きさはこれぐらい。 鶏肉をやってね。 いい? 牛はだめよ。 間違えないでよ」

  裏町の質素な下宿屋。 設備は古いし、階段はゆれるが、雰囲気はあたたかかった。 助けてもらった翌日からミッキーが仕事に入ったので、ジェーンは自然に鍵を預かって、彼の部屋で留守番をすることになってしまった。
  ミッキーは見かけの荒っぽさに似ず気配りのいい性格らしく、下宿のおばさんにまかないを頼んで、金を置いていっていた。 だから大きな顔して住んでいればいいのよ、とおばさんは言ってくれたが、ジェーンは気詰まりだった。
「命を助けてもらった上に、生活費まで……そんなに甘えられません」
「そう、じゃ、少し働く? 最初はたいしてお金にはならないけど、気はまぎれるでしょう」
  おばさんが持ってきたアルバイトは、かけはぎ、つまり細かいつくろい物だった。 ツイードやタータンのような荒い目の生地から始め、腕をあげたら薄物をまかされるようになる。 そうなれば一人前で、工賃で暮らしていけるほど貰えるらしい。 ジェーンは喜んで引き受けた。
  目の疲れる仕事だった。 虫食いやかぎざきで破れた布地をそこだけ切り取り、裾の折り返しなどの目立たない部分から糸を抜いて、切り取ったところに一本一本織り込んでいく。 そうすると、表から見てまったく修繕したところがわからなくなるのだった。
  器用だったのだろう。 間もなく仕上がりのよさが認められ、仕事が増えた。 ジェーンはていねいに一つ一つつくろっていった。
  2週間して、ミッキーが帰ってきた。 大きな袋をサンタクロースのように背負って戸口から入ってきたミッキーは、おばさんの料理を手伝っていたジェーンが台所から手を拭きながら顔を出すと、子供のような微笑を浮かべた。
「よかった。 ちゃんといたんだね」
「よく働くわよ、この人。 いいもの拾いあげたね」
  おばさんにからかわれて、ミッキーは声を立てて笑った。
「人間を落し物みたいに!」
「おちてたんでしょう? 海の中に」
  ジェーンはたじろいだ。 だがそれっきり、2人は忘れたように、ジェーンがなせここに来ることになったかを話さなくなった。 本人に事情を訊こうともしない。 黙って見守ってくれている様子だった。


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