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10 発熱の真相


 

 アレックスがいなくなった後、ひとりで帰ってきたルイーズは、家の近くに差しかかったとき、不意に呼び止め られた。 ルイーズはびくっとして振り向いた。
  急ぎ足で追いついてきたのは、昨日窮地を救ってくれたあの金髪の少年だった。 彼は、いくらか息を切らせ ながら、ルイーズの前に立った。
「急に呼び止めたりしてごめん。 僕はロビン・テンプル。 アレックスの家に泊まってるんだ」
「昨日はどうもありがとう」
と、ルイーズはいくらか固くなって答えた。 ロビンは無邪気な微笑を浮かべた。
「たまたまあの歌知ってたんでね。 それより、ちょっと話したいことがあるんだ。 ショーンのことで」
「ショーンのこと?」
  ルイーズは訊き返した。
「昨日ショーンが君を庭に連れ出したとき、僕は偶然アレックスと茂みの裏側にいたんだ」
  たちまちルイーズは真っ赤になった。
  (あのときショーンと何を話してたかな。 具合の悪いことを口にしてなかっただろうか)
  気を揉みはじめたルイーズに気づかず、ロビンは話しつづけた。
「立ち聞きする気はなかったんだ。 でも、少しでも動いたらわかっちゃうぐらい近かったから、よそへ 行くこともできなくて、二人してじっとしていた。 そしたら、ショーンが君の悪口を言って叩かれるのが見えた。 当然の報いだからお仕置きに少し泳がせておこうって、僕はアレックスに言ったんだ」
「溺れちゃうわ!」
と、ルイーズが叫んだが、ロビンは苦い顔で首を振った。
「溺れっこないよ。 ショーンは学校で水泳の選手をしてるんだから」
「え? 泳げるの?」
  思わずルイーズは、間抜けた声を出してしまった。 ロビンは重々しくうなずいた。
「ああいう手を使うのは汚いよ。 おまけに、体温計をロウソクの火で暖めて熱が出たふりをするなんて、いくら 何でもやりすぎだ」
「そうだったの」
  一息ついて、ルイーズは笑い出した。
「よかった。 私は泳げないの。 すぐに助けられなかったから病気にしちゃったのかと思ったわ」
「アレックスも放っておけばいいのに、なぜ飛び込んだりしたかなあ」
  ルイーズは少しためらい、それからぽつんと言った。
「ショーンをかばったのかも」
  ロビンは顔を上げて、ルイーズをじっと見た。
「君はアレックスを買ってるんだね」
「あなただってそうでしょう?」
と、ルイーズは素早く訊き返した。
  ロビンはまばたきしてうなずいた。
「そうなんだ。 アレックスは無愛想で、何かというと喧嘩を仕掛けてくるけど、昔からヤツと いるほうが落ち着けるんだ」
  考え込みながら、ルイーズはロビンの美しい顔をちらちらと眺めた。
「アレックスはあなたに喧嘩仕掛けるの?」
「もうしょっちゅう」
  ロビンは笑った。
「僕は怒鳴られっぱなしだよ」
「あなたっていい人なのね」
と、ルイーズは感心して言った。
  「それは君の方だよ。 僕はあの兄弟のいとこだけど、君は別に関係ないだろう? それなのに アレックスの傷の手当てしてやるなんて」
  ルイーズはもじもじしてまた赤くなった。
「彼が好きなのよ。 なんだか……お兄さんみたいで。 態度や声でみんな怖がるけど、アレックスが 女の子をいじめたという話は聞かないし」
「確かにそうだ」
  ロビンも同意した。
「でも、アレックスが女の子と仲よくなったという話も聞かないよ。 君だけが特別な……」
  そのとき、マルーカが通りかかって、二人を見ると大喜びで声を上げたため、ロビンの言いかけたことは 最後まで聞けなかった。
「ルイーズちゃん! 立ち話なんかしないで、中に入ってもらいなさいよ! まあ、なんてきれいな坊ちゃん!」
  ルイーズは顔から火が出る思いで、あわててロビンに言った。
「うちの家政婦さんなの。 ショーンのこと教えてくれてありがとう。 じゃ、これで」
「またね」
  明るく答えて、マルーカにも笑顔で挨拶して、ロビンは夕闇の中を歩いていった。

11 門出



 エラは何度も手紙を読み返した。 そして、テーブルに肘をついて、手に顔を埋めた。
「とうとう言ってきたわね。 覚悟はしてたけど」
  独り言を聞きつけて、作業靴を選んでいたトムが顔を上げた。
「どうしたの? 支払いなら……」
  疲れた表情で、エラは振り返った。
「違うわ。 お金はまだまだ余裕がある。 ちょっと、これ見てちょうだい」
  上等な紙にタイプで打たれた手紙をじっくり読んで、トムの顔色が変わった。
「なんだ、これ!」
「向こうにも権利があるのよ」
「権利だ? 父さんが生きてるときには全然連絡なしで、突然こんな……こんな勝手なこと言ってきやがって!」
  怒り心頭のトムに、エラは元気なく答えた。
「ともかく、本家に引き取るとは言ってないわ。 すぐ帰れる距離にしてる。 せめてもの気配りなんでしょう」

  間もなく村から帰ってきてその手紙を見せられたアニーは、そっけなく一言だけ言った。
「おことわり」
  本当は一番行かせたくないのに、エラは説得役に回らなければならなかった。
「町の本家に行くよりずっとましよ。 ほら、テンプルさんの別荘にって」
「別荘でもお城でも、行く気なんかない」
「デニーのところよ。 ほら、ローズのお葬式に来てくれた」
  ああ、そう言えばテンプルっていう名前だったっけ・・・・少し気持ちが動いたが、それでも行くつもりはまったくなかった。
「私には人生の目標があるの。 社交界のバカ姫なんかに絶対ならないから」
  しかたなく、エラは最後の手を使った。
「デニーなら、あなたの夢をわかってくれると思う。 ジョーの駆け落ちにただ一人賛成した人 だから。 でも、デニーをことわって本家が出てきたら、それこそカチカチのお嬢様教育されちゃうわよ」
  アニーは一度固く眼をつぶり、それかららんらんと見開いた。
「クソじじい!」
「やめなさい! そんな言葉遣いされたら、私が恥をかくわ」
「うちのジイさんはクソそのものじゃない! なんで私に干渉するのよ!」
「たった一人の孫だからよ。 テンプル本家にはもう、あんたしか残っていないの」
  アニーは蒸気機関車のようなため息をついた。

  早くも翌々日、アニーの農場に、最新型のロールスロイスが止まった。 近所の連中が数人、珍しいもの 見たさで集まる中で、アニーは夕立雲のような顔で後部座席に乗り込んだ。
  迎えに来たのは、上から下まできちんとした、いかにもボストン育ちの秘書、ジム・タイラーだった。  線が細くて融通のきかなそうなタイラーを、アニーは一目でバカにしていた。
  砂埃を蹴立てて走る車の中で、アニーは拷問を受けているような気分だった。 長いスカートにコルセット。 フリル にレースに大きな襟。 その上につば広の夏帽子。 世の女たちはどうしてこんなものに我慢できるんだろう、と アニーは祖父に対する陰険な怒りをフツフツとたぎらせながら考えた。
  アニーは道々タイラーを質問攻めにしたが、相手は今ひとつ歯切れが悪かった。
「はい、テンプル様は立派な紳士です。 奥様? はい……ええと、きれいな方で……つまり、二度目の奥様で……
  息子さんが一人おられます。 先の奥様のお子さんです。 どんな坊ちゃんですかって? お会いになればきっと 驚かれるでしょう」
  万事この調子で、アニーはうんざりした。 タイラーから具体的なことを聞き出すのは、歯を引っこ抜くより 力が要りそうだった。
  それでも、テンプル家の別荘に着くと、アニーはいくらか厳粛な気持ちになった。 何しろ広い。 前庭の 手入れが行き届いているのを見て、さすが金持ちだと、アニーはしぶしぶ認めた。
  ところが、その後が悪かった。 玄関から美しく着飾った婦人が現れて、タイラーに話しかけた。 冷たい、 いくらか鼻にかかった声だった。
「遅かったのね。 これからお茶会に出かける時間よ」
  アニーは一目でこの婦人を嫌った。 相手も同様だったらしく、高慢な薄青い眼でアにーを 下から見上げ、ついで見下ろした。
「この子なの? ええと、何ていう名前だったかしら」
  アニーが無言で睨んでいるだけなので、タイラーはあわてて言った。
「エリザベス・アン・テンプル嬢です」
「そう。 イライザと呼ぶことにしましょう」
  イライザ! アニーは完全に頭にきた。
「私の名はアニーです!」
  婦人は半眼で見返した。
「まあ、アニーだなんて、お手伝いじゃあるまいし」
  タイラーが制する前に、アニーは爆発してしまった。
「お手伝いで悪かったわね! 昼間っから厚化粧してちゃらちゃら遊びに行く人よりずっとましよ!」
  婦人の眉が引きつった。
「なんですって!」
  必死でタイラーが二人の間に割って入った。
「奥様! お嬢様! どうかお願いです! これではわたくしがテンプル様のお叱りを受けます!」
  アニーは黙ったが、相手はそう簡単に引っ込まなかった。
「グレンおじさまも大変ね。 この子をしつけるには鞭がいるわ」
  テイラーは思わず眼をつぶった。 アニーは顎を突き出して言い返した。
「鞭なんか持ってごらん。 一生後悔するような目に遭わせてやる」
  アニーならやりかねないのを知っているだけに、タイラーはあせって婦人に早口でささやいた。
「怒らせないでください。 アニー様はこう見えても砲丸投げ10ヤード投げるそうです。 子供だと 思っていたら本当に張り倒されますよ」
  さすがに婦人もたじろぎ、唇を噛むと、スカートをさっと体に巻きつけて、待機していた自家用車に乗り込んだ。
  たちまちアニーはバッグを放り出した。
「我慢できるか、あんな怪物!」
  向こうもそう思ってますよ、と言いたいのをこらえて、タイラーはできるだけ下手に出て言った。
「あれが奥様です。 セアラ様で。 気分を害されたでしょうが、ご主人と息子さんは気さくないい方ですよ。
  荷物は中に入れておきますから、湖の方へ散歩でもいかがですか?」
  たまにはいいことを言う、と思い、アニーは帽子を脱ぐと片手で振り回しながら、別荘の裏手に急いだ。

 そこには見渡すかぎり湖が広がっていた。 素早く辺りを見回して、人っ子一人いないのを 確かめると、アニーは 大胆に服を脱ぎ始めた。
   全部脱いだ後で、アニーは空を見上げ、日がかげりそうにないのを見極めた上で、肌着を 勇ましく水に放り込み、勢いよく洗った。
  そして、裸のままで木に登り、手ごろな枝に、洗濯物をずらっと干した。 それから、インディアンのような 雄たけびを上げて、湖面にダイビングした。 大きな水しぶきが上がった。
  心ゆくまで泳いで、すっかりいい気持ちになって、アニーは鼻歌を歌いながら岸にたどり着いた。 まず 肌着を取り込み、苦労して着込んだ後、いよいよ服に取り掛かったが、そこでやっかいなことに気づいた。
  その服は、いわゆる令嬢用で、やたらにリボンがついていた。 悲しいことに、アニーは蝶結びができないのだ。
  テイラーにできるとは思えないし、もし結ばずに行けば、あのいけすかないテンプル夫人にあざけり笑われる だろう。 いくつか不細工なコブを作った後で、アニーはがっかりして座りこんでしまった。
  そのとき、茂みから声がした。
「よかったら、僕が結んであげようか」
  アニーは飛び起きた。
  茂みがごそごそ音を立てて、声の主が現れるまで、アニーは戦闘体勢を整えていた。 だが、 茂みが割れて、すらりとした脚が姿を見せた瞬間、アニーは口をぽっかりと開けた。
   口だけではない。 眼もまん丸に開いた。 そこにいるのは……そこにいるのは!
  次の瞬間、アニーは青年に飛びついて唇を重ねた。 青年はよろめき、バランスを失って、草の上に倒れこんでしまった。
  アニーは、愕然として口を離した。 ちがう。 この感触じゃない。
  アニーは、あっけに取られて尻餅をついている青年に、ぶっきらぼうに尋ねた。
「あんた、だれ?」
  青年は、しばらくアニーを見つめていたが、すぐに吹き出した。
「君……相手を知らないでキスしたの?」
「その顔がいけないのよ。 まるでそっくりなんだもん」
「ああ、わかったよ」
  青年はまじめになって、額から、虹のように輝く金髪をかき上げた。
「僕はマイケル・ロビン・テンプル。 君のお父さんにすごく似てると、よく言われるよ」
  なるほど、これが又従兄弟か、とアニーは改めて青年をしげしげと眺めた。 それからはたと気づいて尋ねた。
「いつから見てた?」
「君がライオンの遠吠えみたいな声を張り上げたときからさ。 あそこの草の上で昼寝してたんだ」
  それから彼は感嘆した。
「君は泳ぎがうまいね。 それに木登りも」
  アニーは上目遣いに、皮肉ではないかと相手を探った。 彼は無邪気な笑いを浮かべた。
「心配いらないよ。 自慢じゃないけど、僕は口が堅いんだ。 危険性もないよ。 女の子に興味持ったことが ないんだ。 もちろん男の子にも」
  そう言って、彼はウインクした。 
  アニーはなんとなく笑いたくなった。 この子は相当型破りだ。 だが嘘つきではない。 さっきキスした とき、まるで大理石の像のように無反応だったことを、アニーは思い出した。
  彼は、淡々と話しつづけた。
「できないってわけじゃないと思うんだ。 夢で興奮することあるし、ダンスするのも好きだし。 きっと 努力すれば結婚して子供を作ることだってできると思うよ。 でも楽しくはないだろうな。 君はどう思う?  一人っ子は義務として結婚すべきかな」
  アニーは、すっかりくつろいで足を伸ばした。 トムには当分会えないが、ここにもいい仲間がいた。 もしか するとトムより面白いかもしれない。
「今いくつ?」
「20歳」
「まだ早い。 あと4,5年したら考えればいいじゃない。 そのときまでには気持ちが変わっているかもしれないし」
「そうだね」
  彼はひどくあっさりしていた。 何事にも執着のない性質らしかった。
  アニーはふと考えついた。
「マイケル・ロビンか……なんて呼んだら気に入る?」
  青年はうれしそうに飛び起きた。
  「よく訊いてくれた! 友達にマイケルが異様に多いんだ。 だからロビンって呼んでもらってる」
  アニーはうなずいた。
「ロビンね。 私はアニー。 よろしく」

  アニーがいつまでも戻らないので、心配したタイラーが迎えに来たとき、彼は危うく心臓麻痺を起こすところだった。
「エリザベス様! お嬢様!」
と、呼びながら歩き回っていると、頭上から声が降ってきたのだ。
「ヘーイ、タイラー、登ってこない? いい眺めよ!」
  少なくとも20ヤードはある大木の上からアニーが手を振っている。 しかも隣には、上品で優雅なロビンを従えて!
  タイラーは、弱々しい声で叫び返した。
「お願いです、すぐ降りてください! ここは高級別荘地で、農園ではありません! 若い令嬢が スカートで木登りするなんて!」
  二人はにぎやかに笑いながら、するすると降りてきた。 アニーは、青くなっているタイラーの肩をポンと叩いた。
「スカートが何よ。 着てるだけましじゃないの」
  タイラーは、不吉なものを感じて、ますます青ざめた。
「まさかお嬢様……」
「そのまさかなの」
  アニーは意地悪い気分になっていた。
「このクソ暑いのに、こんなもの着てられると思う? 今ひと泳ぎしてさっぱりしたとこよ」
  タイラーは絶望的な目でロビンを見た。
「それで、まさか坊ちゃまは……」
「大丈夫だよ」
  ロビンはタイラーを安心させようとした。
「僕がちゃんと見張ってたから。 傍には誰もこなかったよ」
  ボストンの良家育ちのタイラーには、これはあまりの事だった。 狼狽のあまり、彼はつい先走りしてしまった。
「お嬢様! いくら将来のいいなずけとはいえ、初対面からこんな!」
「はあ?」
  アニーは唖然となった。
  ロビンは別に驚かずに首筋をかいていた。 どうやら知っていたらしい。
(それでだな、あんな話をしてたのは)
  アニーは威厳を込めて、ロビンにきっぱりと宣言した。
「私はあなたとは絶対結婚しないから。 さっきキスしてよくわかった」
「お嬢様!!」
  卒倒しそうなタイラーとは対照的に、ロビンはにこにこして手を差し出した。
「いいとも。 友達になろう。 その方がうまくいきそうだ」

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