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9 招待されて


 顔に当たっていたる日の光が急にさえぎられたので、ロビン・テンプルはうっすらと目を開けた。 脚を開いて 立つ背の高い姿が、のしかかるようにそびえている。 ロビンは再び目を閉じ、ものうげに言った。
「アレックスか。 もう脚はいいのかい?」
「余計なお世話だ」
  熊のような唸り声が返ってきた。 目を閉じたまま、ロビンは微笑した。
「今日は一段と機嫌が悪いんだね。 いつも人に突っかかってるのは疲れるだろう」
「勝手なこと抜かすな。 暇さえあれば寝てるくせに」
  ロビンは小さなため息をついて、もうアレックスには構わないことにした。 ともかく、ひどく気が 滅入っていて、他の人間と楽しくやる余裕がない。 とりわけ、並外れた反逆児が相手では。
(ダンとどっか似てるんだよな、こいつ。 でもダンの方がはるかに気立てがよかったから)
  思い出したとたんに涙がにじんできそうになったので、ロビンはあわてて芝生に起き上がった。
  アレックスは彼を見下ろし、容赦なく言った。
「去勢された馬みたいだぞ」
「当り散らすなら、よそへ行ってやってくれよ」
  ロビンは額を押さえた。 アレックスは、その隣にどしんと座りこんだ。
「そのシケた面見てると腹が立ってくる。 誕生祝いに酒飲むんだが一人じゃ面白くないからな。 一緒に 来るか? おまえも確か、今日が誕生日なんだよな」
  ぶっきらぼうだが誘いは誘いだ。 ロビンは驚いて目をぱちぱちさせた。
「酒? 昼間から?」
  たちまちアレックスは荒っぽく立ち上がった。
「説教たれんのかよ。 勝手にしろ!」
「行くよ」
  ロビンも大急ぎで立ち上がって、大股で歩いていくアレックスの後を追った。
 
落ち着かない気持ちで、ルイーズはオーウェル邸の大きな門をくぐった。 ニューヨークでも目立つ 立派な屋敷は、門から家まで相当の距離があった。
  ぎこちない足取りで歩いてくるルイーズを見て、ショーンはそれまで話していた赤い服の少女を 置き去りにして迎えに出てきた。
「いらっしゃい。 あ、お母さん、こちらがルイーズ・バーナビー嬢」
  ナディアは探るような眼差しでルイーズを眺めた。
「こんにちは、よくいらしたわ。 ゆっくり遊んでいってね」
  ルイーズは無理して微笑んで礼を言った。 心の中では考えていた。
(とてもきれいで派手な人。 でもちょっと意地悪そう)
  ショーンに伴われて入った部屋は、間口15ヤード、奥行き25ヤードほどの広間で、チッペンデール風の 家具が並び、華やかなクラシック趣味という雰囲気だった。 しかし、中にいる招待客たちは、 その空間に合わない連中のような気が、ルイーズにはした。
  女子が4人、男子3人、部屋のあちこちに座ったり、ピアノの横で語り合ったりしているのだが、 皆どことなく安っぽく、声がやたらに大きい。 アレックスの友達とは思えなかった。
  客たちの方も、隅っこに隠れるように座ったルイーズになじめないらしく、自分たちだけで話しながら、 ちらちらと遠くから見ているだけだった。
  当の本人、アレックスはどこにもいなかった。 こんな誕生会ってあるだろうか、とルイーズが 思いかけたとき、人声がやんだので、なにげなく顔を上げた。
  戸口にアレックスが立っていた。 グレーの上着を無雑作に肩に引っかけて、傲然と一同を見渡して いる。 やがて口の横がひん曲がった。
「誰だ、おまえら」
  客たちは顔を見合わせ、目くばせし合った。
「ひとりも覚えてないぞ。 たったひとりもだ。 そんな奴らに祝われたって、うれしいわけないだろう」
  そこでアレックスの顔が鬼のようになった。
「帰れ! てめえら、とっとと失せろ!」
  窓の近くにいた女の子たちから悲鳴が上がった。
  その方角に視線を移したアレックスの目が、ルイーズを捉えた。 とたんに表情が変わった。 わずかな 変化だったが、明らかに驚いた様子で、上着を肩から下ろすと部屋に入りかけた。
  そこへナディア夫人が駆けつけてきてアレックスを引き戻し、青筋を立てて怒鳴った。
「アレックス! あなた何ていうことを! まあ、酔ってるのね。 情けない」
  引きずり出されながら、アレックスの視線はずっとルイーズにそそがれていた。 ルイーズも彼から 目を離せず、無言で見つめ続けていた。
  やがて汗を拭き拭きナディア夫人が帰ってきて、ピアノの前に座った。
「ごめんなさいね。 せっかく来ていただいたんだから、午後のパーティーということで、楽しくやりましょう」
  夫人はにぎやかにピアノを弾き始めた。 陽気な曲で、流行歌のようだったが、ルイーズは初めて聞くメロディーだった。
  周りはみんな知っているらしく、いっせいに歌い出した。 やがて、一人ずつ歌うところになった。
「ウェンディちゃんは」とまずみんなで歌い、
「かわいくて」
「やさしくて」
「あかるくて」
「しとやかで」
「スマートな」
「おとこのこ」
というオチがつく。
  一番の歌詞で、ルイーズに順番が回ってきた。 もちろん歌えない。 途切れて、場が白けた。
「そこは『スマートな』よ。 さあ、もう一度ね」
  ピアノが鳴った。 歌が進んでいく。 『スマートな』は覚えたが、今度は順番がちがうようだ。 ルイーズはあせった。
  そのとき、すっと肩に手がかかった。 顔を上げる間もなく、隣の高いところで、えらくきれいな男の声が、代わりに歌った。
「あかるくて!」
  歌はうまく続いていった。 ルイーズは顔をあげて、そのまま視線が固まってしまった。
  横にいたのは、目のさめるような美少年だった。 回りが明るくなる、という形容がこれほどぴったりの姿は めずらしい。 やわらかい純粋な金髪が秀でた額にかかり、誰が見ても楽しくなるような澄んだ青い瞳を引き立てていた。
  少年はルイーズに微笑みかけ、軽くウインクして、部屋から出て行った。 ルイーズを助けるためだけに入ってきた らしい。 あまり意外で、ルイーズはどう考えたらいいかわからなくなった。
  そのとき、軽く背中を叩かれた。 振り向くと、ショーンがいた。
「アレックスが会いたいって。 来るかい?」
「ええ!」
  ルイーズは飛びつくように答えて、ショーンと共に庭に出た。

 広く、完璧に手入れの行き届いた庭を歩きながら、ショーンはやや不機嫌に尋ねた。
「ロビンとは前からの知り合い?」
  奇妙な形に刈られたツゲの木に気をとられていて、ルイーズは上の空で聞き返した。
「ロビンって?」
「さっき君を助けた子だよ」
「金髪の?」
「そう、ロビン・テンプル。 知らないの?」
「ええ、初めて会った人よ」
  ショーンはしかめ面をした。
「あいつ、無作法だな。 あれだから田舎ものは困るよ」
  ルイーズはちょっと不愉快になった。 無作法どころか、ロビンこそ真のジェントルマンだ。
  ショーンは、探るようにルイーズを見た。
「もう一度訊くけど、どうしてアレックスを怖がらないの?」
  ルイーズは、歩きながらショーンをまっすぐに見た。
「どうして怖がらなくちゃいけないの?」
  ショーンは口をとがらせた。
「どうしてって、決まってるじゃないか。 体は大きいし、乱暴だし、手におえなくて退学になったんだぜ」
「そうですってね。 知ってるわ」
  ルイーズがあまりにも平然としているので、ショーンはむかっ腹を立てた。
「ふつう優等生は不良なんか相手にしないもんだ」
「アレックスは不良じゃない」
  この断言を聞いて、ショーンの額の皺が深くなった。
「不良だよ! 完全な非行少年だ。 この前だって、ナイフで喧嘩して切られたんじゃないか」
「あれは喧嘩じゃないわ」
と、ルイーズは静かに答えた。
「襲われたのよ。 たぶん相手は一人じゃないと思う。 アレックスの首にはロープが巻きついたような 跡があったし、上着の背中が裂けていたから。
  それでもアレックスは堂々と闘ったのよ。 彼のナイフには油が残っていて、使った形跡は 全然なかったわ。 でも手の関節は腫れあがって血がにじんでいた。 襲った卑怯者たちは、しばらく 人前に出られないんじゃないのかな」
  あっけにとられた沈黙のあと、ショーンは短く口笛を吹いた。
「驚いたな。 まるで探偵みたいだ」
  からかうような口調にも、ルイーズは動じなかった。
「あなたの方には何か証拠があるの? 自分のお兄さんなのに不良呼ばわりしてるけど、実際に アレックスが何をしたの?」
  ちょうどそのとき、二人は庭の外れにある東屋にたどりついた。 中にある幾何学的なベンチに ルイーズを座らせて、ショーンは自分も隣に座った。 そして、軽い口調で言った。
「いろいろあるんだ、君の知らないことが。 授業をサボって酒飲みに行くし、校庭で煙草は 吸うし、校則を片っ端から破るし」
「友達の邪魔になった? 先生に殴りかかった? 弱い者いじめをした?」
  容赦ないルイーズの質問に、ショーンは真っ赤になった。
「知らないよ。 同じ学校じゃないから」
「そうね、あなたは運転手つきの車で送り迎えされてて、アレックスは遠くの寮に入れられてたんだものね」
  とうとうショーンは勢いよく立ち上がってしまった。
「皮肉か、それ!」
「どう取ろうと自由よ」
  ルイーズも立ち上がり、さっさと東屋を出た。
「アレックスが会いたがってるなんて嘘なんでしょう。 あなたを信じたのが間違いだった」
  ショーンは後ろからついてきた。 そして、甲高い声で言った。
「ちょっと親切にすれば調子乗って! なんだい、三流女優の隠し子のくせに!」
 何より先に、ルイーズは力まかせにショーンをひっぱたいた。 はずみをくらって、ショーンの体が 傾いた。 運悪く、そこはプールのすぐ横だった。 石の柱を掴もうという努力空しく、 ショーンは水しぶきを立ててプールに落ち込んでしまった。
  ショーンが水の中で浮きつ沈みつし始めたのを見て、ルイーズの興奮は一度に冷めた。 何と、 ショーンは泳げないのだ。
  ルイーズの脳裏に1つの名前がひらめいた。 彼なら泳げる。 泳げるにちがいない!
「アレックス! アレックス、助けて!」
  叫びながら、ルイーズは母屋に走った。
  彼が出かけてしまったかもしれないという考えは、まるで浮かばなかった。 アレックスさえ 見つければ大丈夫、という思いに一筋にすがって、ルイーズは、びっくりして目を見張っている 少年少女の横を走りぬけた。
「アレックス、アレックス、どこ!」
  角を曲がったとたんに、ルイーズは誰かと衝突した。 それが捜し求めていた相手だと悟った とたん、ルイーズはかすれ声で叫んだ。
「アレックス! ショーンがプールに落ちたの! 私が落としちゃったの!」
  アレックスは、すぐ身をひるがえして走り出した。

 5分後、ぐしょぬれで気を失ったショーンを背負って、アレックスがテラスから入ってきた ので、ナディア夫人は半狂乱になった。
「ショーン! ショーン! 
アレックス! 今度こそ赦しませんよ! ショーン、お願い、目を開けて」
「私です。 私が悪いんです」
  涙ながらに訴えるルイーズの声は、まるでナディア夫人の耳には入らなかった。
  すぐに医者が呼ばれ、パーティーの客たちは小さなグループに固まって、ひそひそと話し合っていた。
  まもなく、ナディア夫人の高い声が響いてきた。
「ひどい話だわ。 熱が40度もあるのよ!」
  熱が40度! ルイーズは震え上がった。 ショーンがすぐ介抱してもらって熱を出したとすれば、 濡れた服のままで二階に追いやられたアレックスの方は……! ルイーズは我を忘れて 階段を駆け上がり、さっきアレックスが入っていった部屋のドアを叩いた。
  ややあって返事が聞こえた。
「どうぞ」
  ルイーズはドアをあけた。 ちょうど正面に、ガウンを着て黒い髪をくしゃくしゃに乱したアレックスが 立っていた。 逆光で顔色が分からない。 ルイーズは夢中で彼に走り寄って、額に手を当てた。
「アレックス! ショーンが熱を出したの。 あなたは大丈夫? ああ、よかった……」
  後は言葉にならなくて、ルイーズは感きわまってアレックスの腕につかまり、胸に頭を押しつけた。
  アレックスは無言で、石のように体を強ばらせていた。 異様な空気を感じて、ルイーズは彼の胸から顔を上げた。
  その瞬間、ルイーズの目は飛び出しかけた。 アレックスは一人ではなかったのだ。 窓際の椅子に座った若者の 青い眼が、彼女をまじまじと見つめていた。
  ルイーズは反射的にアレックスの体から手を引いて、後ろに下がった。 顔が焼けつくように熱くなった。
「あの……私……ただお見舞いに……」
  後が続かずに、ルイーズは大急ぎで反転し、一目散に階段を駆け下りた。
 
  部屋の中では、アレックスがゆっくりとロビンに向き直った。
「なぜ勝手に、どうぞなんて言った!」
  ロビンはまだ驚きから醒めやらないままだった。
「彼女……さっきショーンといた人……」
「それが何だ!」
と、アレックスは噛みつくように怒鳴った。
「俺の誕生会に来てくれたんだ。 当然知り合いだろう!」
「それはそうだけど……」
  ロビンはどうしても一言言わずにはいられなかった。
「あんなに上品で控えめな人が、ただの友達に抱きつくかなあ」
「知った口をきくな!」
  アレックスは怒りで顔を真っ赤にした。
「脚を怪我したとき、あの子が手当てしてくれたんだ。 気立てがやさしいんだ!」
  今度こそロビンは仰天した。
「君を手当てした? 君のその脚を、あの人が?」
「人を猛獣みたいに言うな!」
  鼓膜が破れそうになって、ロビンは耳を押さえた。
「そうわめくなよ。 だから信じられないんだよ。 君はそうやって年中怒鳴ってるだろう。 とても 女の子が近づける雰囲気じゃないよ」
「近づかなくて結構だ」
と、アレックスはうそぶいた。
「女なんか嫌いだ。 着飾って男を引っかけることばかり考えやがって、うんざりだ」
  共感する点がなくもなかったので、ロビンは黙った。
  気がつくと、アレックスが嫌な目つきで睨んでいた。
「おい。 あの子が俺に抱きついたなんて一言でも漏らしてみろ。 ただじゃおかないぞ」
「言わないよ、そんなこと。 僕は噂好きじゃないよ」
「忘れるなよ。 いいな」

 翌日、ルイーズか小道を通りかかると、木陰に煙が見えた。 大喜びで、ルイーズは林の中に歩み入った。
「アレックス?」
  アレックスは煙草を捨てて足で踏みつけ、ルイーズにニヤッと笑って見せた。
「やあ、めがねちゃん。 昨日は最悪だったな」
「最悪だったのはショーンよ」
  一晩中気がかりだったことを、ルイーズは真っ先に口に出した。
「肺炎にならなかった? 私、心配で」
  息を吸い込んだ後、アレックスはあっさりと答えた。
「ならないよ。 あいつは見かけより丈夫なんだ」
「よかった!」
  ほっとして、ルイーズは手を握り合わせた。
「謝りに行かなくちゃならないと思ったんだけど、昨日はどうしても行けなかったの。 私が あやまってたってショーンに伝えてくれる?」
  アレックスはいつもの癖で、軽く頭をかしげてルイーズを見た。
「どうして自分で言わないんだ?」
  条件反射的に、ルイーズは自分の気持ちを言ってしまった。
「だって怖いんだもの」
「怖い?」
  アレックスはたまげて大きな声を出した。
「ショーンのどこが怖いんだ? 君に一突きされて簡単にプールに落ちたやつじゃないか」
「そういう怖さじゃないのよ」
  ルイーズは説明に困った。
「ショーンは何をするかわからないところがあるの。 つまり、何ていうか、手段を選ばないところが」
  少し沈黙が続いた。 やがてアレックスは、勢いよく木の根元を蹴った。
「前にも君を困らせたんだな」
  それから下を向いて、少し照れくさそうになった。
「昨日は俺もやりすぎた。 突然怒鳴りこんで、びっくりしただろう?」
「うん……ううん」
  自分の心を覗いて、ルイーズは静かに答えた。
「あなたが恐れられるわけがわかった。 すごい迫力だった」
「どこが怖いって?」
  フンと笑うと、アレックスはルイーズの頬っぺたをちょんとつついた。
「俺のことこき使って、その上軽く抱きついて」
  赤くなって、ルイーズは横を向いてしまった。 アレックスは木から手を離し、あっさりと言った。
「じゃあな」
「あの……」
  アレックスは行ってしまった。 ルイーズはナイフを返しそびれた。

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