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    湖のほとりで 6
  


 かたわらでバーロウが低い警告を発した。
「ほら見ろ。 ちゃんと説明しておかないからだ」
 顔は向けずに、パトリックは固い声でささやき返した。
「今やる。 余計なことを言うなよ」
「親父どのが何というか、見ものだな」
 親友の顔を一睨みして、パトリックは馬の首を回し、恋人を迎えに引き返した。
 近づくにつれ、セシリアが途方にくれた顔をしているのがはっきり見えてきた。 ほとんどおびえた表情だ。 確かに去年建て直したばかりで、シェルドン城は堂々たる外観になっていた。
 砂色の城郭を見やりながら、パトリックは苦い口調で言った。
「あれは、兄が結婚することになって直したんだ。 だがほとんど出来上がったときに、狩猟中の事故で死んでしまった」
「まあ……」
 言葉を失って、セシリアの眼は、最新式の塔や誇らしげに張り出したアーチ門をさまよった。
 パトリックは一つ大きな息をついた。
「財産を引き継ぐのはまあいいが、兄の許婚〔いいなずけ〕まで押しつけられそうになった。 だからエディンバラに逃げるところだったんだ」

 二人の視線が合った。 何か言われる前に、パトリックは先回りして告げた。
「あの前日、君が窓のところにいるのを見かけた。 似てるな、と思ったんだ。 昔のいまいましい婚約者に。
 とたんに計画が浮かんだ。 君を好きになったと言って連れて帰れば、父や周りの連中は信じるだろう。 そうやって結婚話を壊してから、後で君にお礼として支度金を出して、ふさわしい婿を見つけてあげようと。
 君はあの城から逃げたがっていた。 一挙両得というやつだ」
 セシリアの心に、小さな穴があいた。 その穴は、みるみるうちに広がって、血の涙を流し始めた。
 だが、眼は乾いていた。 壮大な城をもう一度じっくりと眺めてから、セシリアはむしろ明るくなって、しっかりした調子で答えた。
「そう。 そうね。 私もそのほうが気が楽だわ。 夫がこんな大金持ちでは、かえって気詰まりだし」
 そして、すべてを吹っ切って顔をまっすぐ上げ、前に進もうとした。
 その腕を、しっかりとパトリックが捕らえた。
「最初はそうだった。 だが、今は違う。 だからこそ打ち明けたんだ。 後で騒動にならないように」
 セシリアの腕を握った彼の指は、緊張でかすかに震えていた。 整った顔にも、これまでにない覚悟の色がみなぎっていた。
「君のような人ははじめてだ。 君の前ではまったく気取る必要がない。 ありのままのわたしを受け入れてくれる。 こういう人が、わたしは欲しかったんだ」
「でも私は……」
 本気であなたを、と言いかけた唇を、パトリックの指が軽くふさいだ。
「言わないでくれ。 嘘から出た誠、ということわざもあるだろう? わたしは君が心底好きになった。 それを今すぐ信じろとは言わない。 これからじっくり時間をかけて、わたしの気持ちを証拠立てる。
 まずその前に、父に会わせよう。 服を替え、いつも通り淑やかに話してくれれば、きっと結婚を承知してくれるはずだ」

 私を好きに……セシリアの瞳が、夕暮れの湖のようにぼうっとかすんだ。 初めて聞く愛の言葉は、乾いた地面に落ちる春の雨となって、またたく間に心に吸い込まれていった。


 
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背景:素材の小路
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