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    湖のほとりで 5
  


「春は美しい。 でも夏はもっと華やかで心躍る季節かもしれない。 あなたを見ていると、そう思えてきました」
 よく理解できないままに、セシリアは微笑んだ。
「私には夏のほうが似合うと?」
「まあ、そう思ってくださってもいいです」
 ていねいな物言いを崩さず、パトリックはゆっくり答えた。
 開いた窓から、野ばらのまろやかな香りが流れこんできた。 セシリアは再び窓辺に寄り、パトリックと影を並べた。
「これまで月は嫌いでした。 両親を看取った夜もこのように満月で、冷たいほど白く輝いていたものですから。
 でも、今夜で気持ちが変わりました。 まるで誘いかけてくるように柔らかな光ですね」
「月はいいものです。 肩越しに見たりしなければ」
 振り向いて月を見ると不吉なことが起きると信じられていた。 だから二人は真正面から仰向いて、くっきりと夜空に張りついた光の円を眺めた。
 やがて、どちらからともなく顔が近づいた。 唇が軽く触れ合い、それから熱く重なった。

 ひょんなことから花嫁を得ることになったので、パトリックはエディンバラ行きをひとまず取りやめ、セシリアを連れて故郷へ戻ることにした。
 翌朝からの二日の旅は、セシリアにとって夢の続きだった。 これまで世間を知らなかった分、見るものすべてが目新しく、不思議で、思わず興奮してはパトリックの腕を掴み、せきこんで尋ねることがしばしばだった。
「ねえ、あの不思議な渦巻きは何? 派手な模様がついているようだけど」
「ああ、あれはターバンといって、回教徒の男が帽子代わりに巻く長い布だ」
「顔が夜のように黒いのね。 炭を塗っているの?」
 パトリックは吟遊詩人のトム・バーロウと声を合わせて笑い出した。
「黒人を見たことがなかったのか。 そうだな。 彼らは寒さに弱いから、あまり北部には行かないな」
 もうそのときは、セシリアは他のものに気を取られていた。
「まあ見て! あの人あんなに垂れた鼻して、ものすごく長い足で歩いてるわ。 あれも外国人?」
「いや、鼻は付け鼻。足には高下駄をくくりつけているんだ。 木で三角にけずった道具だ。 市議会のお触れを配るのに、景気付けをしているんだよ」
 ていねいに説明してやっているパトリックを、バーロウは面白そうに眺めていた。

 どんなに楽しい旅も、いつかは終わる。 パトリックの故郷に間もなく到着すると知って、セシリアは急に口数が少なくなった。
 そう言えば、彼のことはほとんど知らない。 広大な土地を持つ地主の跡継ぎとわかっているだけだ。 連れが増えても旅費に困った様子がないので、金持ちなのだろうと予測はできた。 しかし、どのぐらい裕福なのかは、彼の住まいを見るまで想像できなかった。

 ゆるやかな斜面を馬で上っていくと、石の塀が見えた。 そう高くないので、上端から領地の奥をすかし見ることができた。
 パトリックとバーロウは慣れた道をさっさと進んだ。 そのうち、すぐ横についてきた馬が一頭足りないのに気付いて、パトリックが速度をゆるめて振り向くと、従者の馬二頭にはさまれるようにして、セシリアの馬が立ち往生しているのがわかった。
「どうした!」
 パトリックは大声で呼びかけた。 すると、弱々しい声が返ってきた。
「あなたの……あなたの家って、まさかこのお城……?」
 


 
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