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    湖のほとりで 4
  


 つまり、昨夜吟遊詩人が城を訪れたのは偶然ではなく、セシリアを逃げやすくしてやろうというパトリックの計画だったのだ。 二人の会話でそれを悟って、嬉しさにセシリアの頬は熱くなった。

 やがて一同は、トレヴァーの町に到着した。
 夜のこんな時間だと、この辺りのたいていの町は大門を閉じて入れないようにしている。 だが、ここでもパトリックは要領がよかった。 前もって門番に金をつかませてあったらしく、二度短く、二度長くノックすると、門がきしりながら開いた。
 これで朝まではひとまず安全だ。 宿屋に戻ると、ニ間続きの部屋の入口側に従者と吟遊詩人のバーロウが寝床を取り、セシリアはパトリックと共に奥の部屋へ行った。
 簡素な部屋だが、寝台は二つ置いてあった。 そのうちの一つを指して、パトリックは淡々と言った。
「こちらでお休みなさい。 わたしはこっちに」
 ほっとすると同時に寂しい気持ちになって、セシリアの声が上ずった。
「あの、私にご不満?」
 ゆつくりと窓に近づくと、パトリックは窓枠に腰を下ろし、銀色に丸く光る月を眺めた。
「いや……ただ、あなたを見ていると、ある人を思い出すので」
「ある人?」
「そうです」
 それから、独り言のように付け加えた。
「こんなに似ているとは思わなかった」

 その人は、きっと恋人だったんだ、と、セシリアは素早く悟った。 そう知ると、勇気が出てきた。 ひょっとしたら家柄だけでなく他の点でも、彼の心を引くことができるかもしれない。 そうなれたらどんなにいいだろう。
 薄闇の中をすべるように動いて、セシリアはパトリックに近づいた。
「私のどこがその人に? 目鼻立ちですか? それとも姿?」
 どことなく寂しげに、パトリックは顔をそむけた。
「どちらも似ています。 あなたの方が背が高いが」
「それで」
 興奮で声が震えた。
「もしかして、彼女は亡くなったのですか?」
 とたんに唸り声を上げて、パトリックはいきなり立ち上がった。 びっくりしたセシリアは、たじたじと二歩退いた。
 拳を固く握りしめると、パトリックはドンと窓枠を叩いた。
「死んだ? とんでもない! あのクソ女、わたしとの約束を反古にして」
 そこで不意に言葉が途切れた。 セシリアが注意して眺めると、彼はうつむいて、涙を流していた。 間もなく嗚咽まで聞こえてきた。
 セシリアはおろおろしてしまった。 男の人が泣くところを見たのは初めてだ。 慰めたいが、自尊心を傷つけるのが怖くて、見ないふりをするのが精一杯だった。

 しばらく待っているうちに、パトリックは落ち着いてきた。 そして、乱暴に袖で目を拭うと、睨むようにセシリアを見返した。
「情けないと思ってるでしょう。 振られて泣くなんて」
「いいえ」
 心をこめて、セシリアは答えた。
「悲しんで当然です。 涙は本気で恋をした証。 私はそう思います」

 パトリックの喉が、ごくりと鳴った。 また窓に向くと、彼は胸を広げて、大きく息をした。
 


 
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