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    湖のほとりで 3
  


 おぼろ月夜で、庭は黒く沈み、ほとんど通路と地面の見分けがつかなかった。 それでも、ここで育ったセシリアは間違えずに道をたどり、高い塀の中に飛び込んで、ほっと息をついた。
 中には、小型の松明を木陰に隠して、二人の男が待っていた。 先に歩み出てきたのは、昼間に会ったパトリック・ウッドワード青年で、後に控えているのはどうやら従者らしかった。
 手を差し伸べてセシリアを木陰に連れていくと、パトリックは胸元から書面を出してセシリアに見せた。 それはエディンバラの市長へウッドワードを推薦する紹介状で、高名なマードック公爵の紋章が押してあった。
「これで信じてくれますか?」
「はい」
 セシリアは声を弾ませた。 そのわずかな荷物を受け取って馬に結び付け、三人は薬草園から足音を忍ばせて出ようとした。
 その前に、突然二つの影が躍り出た。 パトリックは素早くセシリアを引き戻して背後に庇い、鋭く尋ねた。
「誰だ!」
 じりじりと詰めよりながら、影の一つが叫んだ。
「そっちこそ誰だ! さては人さらいだな! こちらは呼べば何人でも集まるぞ。 すぐに姫を放して降伏しろ!」
 それはアーネストの腹心、ジェームズ・フィネガンの声だった。
 パトリックは物怖じするどころか、楽しげにさっと腰から剣を抜いた。 相手は急いで飛び下がり、自分たちも剣を手にした。
「やる気か!」
「当然だ。 姫はわれわれと行きたいのだ。 下賎の者に止められる筋合いはない!」
 下賎と言われて、フィネガンの顔が夜目にも真っ赤になった。 そしていきなり予告もなく切りこんできた。
 体を斜めに倒して避けた直後、パトリックは肘を返してフィネガンの手首を打った。 勢いでフィネガンの剣が指から離れ、弧を描いて飛んだ後、地面に突き刺さった。
 横にいたフィネガンの部下は、不利を知っていったん剣を鞘に収めるふりをした。 しかし、パトリックの従者がささった剣を引き抜いているわずかな隙をねらって、いきなり下からパトリックを突こうとした。
 左側からだったので、その奇襲が成功していたらパトリックの命はなかったかもしれない。 しかし、部下が背後に回した剣のゆらぎに、セシリアが一瞬早く気付いた。 彼女が背中に負ったタペストリーを放り投げるのとほぼ同時に、男が剣を繰り出した。その剣は、パトリックの横腹に届く前に、ずしんと載ったタペストリーによってあらぬ方向にずれ、男は指をくじいて呻き声をあげた。
 すばやく従者が駆け寄って、その剣を叩き落した。
 パトリックは、ちらっと賞賛の眼差しをセシリアに送った後、丸腰になってしまったフィネガンたちに冷たいひと睨みをくれた。
「わざわざ殺すまでもない。 どけ」
 しかたなく、二人は道をあけた。 そのとき、城の右から叫び声があがった。
「火事だ! 火が出てるぞ!」
 フィネガンと部下は顔を見合わせ、大慌てで走っていった。 パトリックはすぐセシリアを馬に乗せるなり、さっと自分も飛び乗り、裏から城を後にした。

 生まれ育った城が火事と聞いて、セシリアは気が気ではなく、遠ざかる建物を何度も振り返って見た。 前を行くパトリックがその様子に気付いて、安心させようと言葉をかけた。
「ご心配なく。 馬屋から藁を持ち出して火をつけただけです。 放っておいても自然に消えます」
 やがて馬の蹄の音が近づいてきて、セシリアは身構えた。 だがそれは追っ手ではなく、リュートを肩に掛けた吟遊詩人だった。
 パトリックが呼びかけた。
「火を出すのがちょっと遅かったぞ」
「すまん」
 吟遊詩人は澄んだ声で答えた。
「小間使いの子とキスなんかしてたものだから」
「まったくもう」
 パトリックは嘆息した。
「今度やったら馬の替わりにロバに乗せてやるからな」


 
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