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 自動的に礼をしながら、セシリアはぽっとなってしまっていた。 こんな人里離れた城に、訪問客はめったに来ない。 まして若く綺麗な男性など、すべて叔父が用心深く追い払ってしまい、もう何年もお目にかかったことがなかった。
 うれしい。 でもかえって目の毒かも――近づこうかどうしようか迷っているセシリアに、パトリックはきびきびと告げた。
「実は他でもありません。 突然でぶしつけとは思いますが、わたしの妻になっていただきたく、お願いに来ました」

 口を半ば開けたまま、セシリアは動けなくなった。 妻……この、物凄くきれいで、まるっきり好みの、王子様みたいな人の……?

 武器を買い付けに来た商人のように、パトリックは一気に条件に入った。
「わたしはコーンウォールに百エーカーを超える領地を持つ、ウッドワード家の跡継ぎです。 エディンバラへ旅する途中、ここに妙齢の姫君がいらっしゃると聞き、従者に調べさせて、ご挨拶にうかがいました」
 セシリアは二度試みて、三度目にやっと声を出した。
「あ……あの、なぜ私に?」
 威厳も何もない質問だが、本音だった。 表側はさすがに修理してあるものの、裏手の塀は崩れかけ、城の壁も蔦に侵食されて、昔の面影さえないボロ城だ。 パトリック自身もその塀の欠け目から入ってきたにちがいない。 こんなあばら家の娘に、なぜいきなり求婚なんか……
 低く咳払いして、パトリックは青玉のような眼をセシリアに据えた。 そして、ずばりと言った。
「立派なご身分だからです。 あなたは子爵のお姫様ですから」

 これで夢気分は半ば以上消えた。 だが考えてみれば、高い身分が持参金代わりになるという証拠だ。 それだけ堂々と結婚できる。 叔父に知られれば仲を裂かれるに決まっているので、セシリアは急いで自分のほうの条件を出した。
「本当にコーンウォールの地主の方だと証明していただければ、申し込みをお受けしたいと思います。 ただ、叔父のアーネストは認めないでしょうから、こっそり城を出るようにしないと」
「やはりそうですか」
 パトリックの薄い唇に、皮肉な微笑がただよった。
「町で噂を聞きました。 叔父上は妾腹で、先々代に息子と認知されなかったので、あなたの父上の跡をついで子爵となる許可が下りない。 それであなたを人質同然に城へ押し込めて、後見人と名乗っているのだと」
 セシリアはうなずいた。 パトリックは彼女に近づき、ふところから緑色の小瓶を出して渡した。
「これはよく効く眠り薬です。 味は薄く、匂いはないので、酒の盃にでも入れて叔父上夫妻に飲ませてください。
 今夜九時に、わたしが確かにバトリック・ウッドワードだと証明するものを持って、迎えに来ます。 準備をお願いします」

 あれよあれよという間に、駆け落ちが決まってしまった。 一生の大事なのにこんなことでいいのだろうか、とさすがのセシリアも思ったことは思ったが、居候の叔父夫妻にいいように利用され、自由がほとんどない今の生活をこれ以上続けるのは、もう耐えられなかった。


 その夜は、セシリアにとって具合のいいことに、旅の吟遊詩人が訪れて、一晩の宿を乞うた。 楽しみの少ないこの時代、吟遊詩人は一流エンタテイナーとして人気があり、アーネストは喜んで広間に招き入れて歌を聴いた。
 部下たちもぐるりと詩人を取り巻いて聞きほれていた。 だからセシリアはやすやすと、叔父夫妻の盃に薬を入れることができた。
 これが毒薬だったらどうしよう、と不安だった。 しかし、薬は穏やかに効き目を表した。 間もなく二人はあくびを連発し始め、今日は疲れたらしいと言い交わしながら寝室に引き取った。 吟遊詩人も家令に案内されて、最上階の部屋に上がっていった。

 肩掛けがほしいから探してきて、と、見張り役の小間使いをうまく衣装部屋に追いやった後、セシリアは男の子の服に着替え、壁から小型のタペストリーを引き下ろしてくるくると丸めて背負うと、窓から垂らしたロープを伝って裏庭に下りた。 そして、薬草園目ざして全速力で走った。


 
背景:素材の小路
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